世襲議員のからくり (文春新書 698)

週刊文春不定期に連載してきた世襲議員問題についての連載に加筆修正をおこなって新書にまとめたもの。週刊誌連載を読んでいた人には復習になってしまい物足りないかもしれないが、はじめての方にとっては大変衝撃的な内容だと思う。


 筆者はまずあえて世襲の意味を厳密に定義しない旨を明示する(この点は、松崎哲久(1991)『日本型デモクラシーの逆説2世議員はなぜ生まれるのか』冬樹社などの研究書とはあきらかに違う)。それは永田町の中では「世襲」は、直接、インターバルなしで親の地盤(選挙区)を継承したことをいい、「2世」はそれ以外の係累に国会議員がいる場合を指すという常識が一般社会ではほとんで意味を持っていないからだという。


 確かに親の地盤を引き継がなくても「カバン(資金)」と「看板(名声)」のどちらかだけでも引き継げるだけでも、他の候補者よりは1歩も2歩も抜きん出ているといえ、また、「カバン(資金)」については、筆者が少なくとも一般にははじめて指摘し、本書でも検証をおこなっている「非課税での相続」がおこなえるという法律にはまったく反していないとはいえほとんどルール違反ともいいたくなる圧倒的な優位がある。ボクシングに例えていうなら、ライト級の試合のはずなのにヘビー級のボクサーがなぜか同じリングにあがって試合をするのを許されるのと同じくらいの不公平感がある。


 筆者は、本書の冒頭でたたき上げの民主党衆議院議員の言葉を引用する形で世襲の弊害を有為な人材が政治の場に出てくるチャンスを小さくし、また、政治は特別な家系の人々が担うことだというイメージをつくり権力に従順で疑問をもたない日本人の精神性をはぐくんだのではないかと断罪している。持たざる者の僻みととられるかもしれないが、私も筆者やこの議員と気持ちを同じくする。


 参入の時点でこれだけの差があっても政治にチャレンジしようという気持ちを持つ人はいると思う、しかし、本書でも紹介されているとおり、なかには1世紀にもわたって国会議員を輩出し続けている家系もある。こうした政治一族に無手で挑むチャレンジャーが勝利できるかというと、現実にはほとんど不可能に近いことは、実際の選挙結果を少し調べてみれば簡単にわかる。


 よく、政治家の子弟にも職業選択の自由はあるとの主張が聞かれる。確かにその通りかもしれない、誰しも自分の努力で好きな職業に就く事由は認められるべきだ。だが、せめて、「カバン(資金)」の非課税相続の問題だけでも禁止しないと、私は法の専門家ではないが、これは、法の下の平等を保障した憲法にそれこそ違反するのではないかといいたい。


 タブーを恐れず、筆者が国会議員の世襲の問題、特に政治資金の相続の問題を取材し形にして世に問うたことに敬意を表したい。週刊文春での一連の連載は、自民党民主党の中でも世襲の制限に対する制度の導入議論が出てくるきっかけに確実になった意義深いものだと思う。後は、この成果をメディアがどこまでフォローして議論を広げられるかにかかっていると思う。他のジャーナリストはもちろんの事、各マスメディアには真剣な議論が国民の間におこるように奮起されることを望みたい。


 最後に、マスメディア(テレビ、新聞)業界に国会議員の子弟が大変多いという話が紹介されているが、そういう事実があることは私もしっていたがその意味を深く考えたことはなかった。私は陰謀論者でもなんでもないし、その種の論議は嫌うが、私たちの知らないところで権力の中にインナーサークルができており、その中の常識で物事が決まっているのだとしたら、これほど恐ろしいことはない。そう感じた。

世襲議員のからくり (文春新書)

世襲議員のからくり (文春新書)