世襲議員の評価

世襲議員が一般にどう受け止められているのかを考えると、メディアで言われているほどには悪とは思われていないのではないかと思います。むしろ世襲の物語が日本人は嫌いではないのではないかと感じます。例えば、小泉進次郎氏のもてはやされ方を見ると、その思いが強くなります。また、そもそも家業を継ぐということに対して、一般的に肯定的な受け止め方をすることが多いのではないでしょうか。

クニミツの政』という政治を題材にした漫画があります。主人公が秘書として仕える政治家は、名市長と呼ばれた政治家の息子で元県議会議員です。この漫画は2000年代の前半に連載されたものですが、世襲について否定的な意見は特に出てこなかったと記憶しています。偉大な父親から良い影響を受けてきたという文脈で描写されていたと思います。

世襲に対する批判が強くなるのは、2000年代の後半に世襲の総理が続き短期間で交代したことがあったと思いますが、そうした流れはあまり長く続かず現在ではほとんど忘れ去れています。

また、選挙の現場の感覚では、世襲への批判はないわけではないですが、むしろプラスに働く局面が多いと考えます。政治家を応援する多くの人は、現実的な利害で結ばれているのではなく、ブログの表現を借りるなら「精神」で集まり活動する。では、精神はどこから生まれてくるのか。私は、物語だと考えています。

ここでいう物語とは何か。個別の有権者の間に作った個人的関係性のことを物語と呼んでいます。些細なことのように感じる方もあると思いますが、あの人とは握手をしたことがある。挨拶をされた。毎朝、私が通勤する駅に立っていて時刻表代わりにしている。なんでもかまいません。こうしたことが関係性の物語になり集積されると現実に選挙の応援という形につながると考えています。

世襲議員が持つ最大の資産は、この物語がすでに形成されていることです。自分が政治家を目指す前から有権者との間に関係性ができている。その無形の資産を継承できることが強みだと考えます。この資産は、利害で形成されていないものの方が長続きします。利害は代替可能ですが、記憶は代替できないからです。

例えば、私が若いころにある大物政治家の孫(3代目)の選挙運動を手伝っている方から聞いた話ですが、支持者を回っていると父親の話ではなくすでに亡くなった祖父の話が出てきて驚く、大事に祖父の名刺をとっている支持者がいる。昔、あいさつに来てくださって、だからずっと応援してる。

ここに現実の利害はありません。記憶、思い出だけがある。孫の知らないところで物語が紡がれている。このような関係性を1代で築くのは、よほどの人物であってもなかなか難しいと思います。

結論めいたものがあるわけではありませんが、こんなことを考えました。