平成政治20年史 (幻冬舎新書 ひ 6-1)

 筆者は、元参議院議員で国会職員時代から小沢の最側近と目されてきた人物であり、数少ない小沢から離れていかなかった側近である。新生党結党時の44名の国会議員のうち、現在まで一貫して小沢に付き従っているのは、藤井裕久(第44回総選挙で落選、後に繰上げ当選)と筆者だけ(第40回総選挙当選組の工藤堅太郎、山田正彦広野允士山岡賢次らも一貫して小沢に従っているが、途中落選し国会を離れた時期がある)であり、ゆえに筆者の書いた平成の政治史は、小沢一郎の側から見たここ20年の日本政治史といってもいいかもしれない。


 さまざまな論者が指摘していることだが、小沢一郎は大変人望のない政治家だといわれている。と書くと誤解を生みそうだが、側近と呼ばれた人物がすぐに離れていくことは有名(それが事実であったかは私に確かめるすべはないが、小沢について取り上げたさまざまな著作や報道を見る限りではそういうことになっている)である。そして、離れていった議員は総じて小沢に対して当たり前といえば当たり前のことだが痛烈な批判者となっている。


 小沢の側近と呼ばれたことのある議員を思いつくままにあげると、梶山静六中村喜四郎村岡兼造熊谷弘、船田元、二階俊博小池百合子中西啓介、山本拓、高橋嘉信などがいるが皆、見事なぐらい離れてしまっている。


 本書から読み取れるのは、小沢はほとんど自らの考えを側近(自任しているだけで小沢がそう捉えているかは別問題)に対してすら説明しないことが、間違いなく小沢から人が離れていく原因の一つになっていることがわかる。


 同時に小沢自身の行動原理はよくいわれているようにまったくぶれておらず政権交代の実現(あるいは政権交代のある政治の実現、自民党をあらためて割っての政界再編)にあることが確認できた。一見、とっぴょうしもない行動(最近では大連立)を突然とるのもその物差しでみればたやすく理解できる。ただ、そのことと個人的な人間関係というのはまったく次元が違い、小沢のように独断専行を続けていれば、なかなかついていく者が大変に感じるであろうことも容易に想像できる。小沢にしてみれば、そんな感情は政権交代という大儀の前には些細なことなのだろうが。


 それにしても、筆者の書く平成政治の20年の歩みを読んできて感じるのは、政治の奥の院では相も変らぬためにする権力闘争がおこなわれており、日本政治というのはそんなに成長していないのではないか、むしろ退化しつつあるのではないかとさえ感じ絶望してしまいそうになる。それでも変革を期待する気持ちはわずかながらは心に残ってはいる。しかし、とうてい後、何年も心が持ちそうにないが。

平成政治20年史 (幻冬舎新書)

平成政治20年史 (幻冬舎新書)