社会を変えると語ることの傲慢
午前中、少し仕事を片付けた後、昼食を済ませて休憩中です。ふと、考えていたことを文字に残しておきたくなりました。
私は自分が社会を変えられると思ったことはありません。ひょっとしたら若い頃はそんな風に考えていたことがあったかもしれませんが、思い出せる限りでは一貫してそうした考えを持っていたと思います。
一生を費やせば、自分の行動が社会を変えることにつながることもあるのかもしれませんが、それはあくまで結果であり、意図してできるものではないと考えています。
一般的に政治やNPOに関わる人は、社会を変えられると思って行動していると思われるのかもしれませんが、少なくとも私に限ってはそうではありません。
では、私は何のために行動してきたのか。何のために生きているのか。そんな益体もないことを考えていました。確かなのは、私は社会や組織のために動いているのではないということです。自分が大事だと思う特定の個人のために行動している。思索を続けるうちにそんなことを再認識しました。
選挙で候補者を応援する時、NPOに関わる時、そのすべてにおいて固有名詞で自分との関係性を語ることができる人とのために行動してきました。
そもそも、私は、指導や支援をするのもされるのも嫌いですし、誰かに対してそんなことができると思ったことが一度もありません。また、他人の生き方の良し悪し語れるほど立派な人間でもありません。
若い頃から、国を変えるとか、社会を変えるとか、そんな大義を語る人たちが、身近な人たちを傷つけ、顧みない姿を見てきました。だからこそ、そういう人間だけにはなりたくないと思いながら生きてきました。
私自身、これまでそのような振る舞いをしていたかもしれません。ですから、自分に罪がないなどと語るつもりはありません。
ただ、そんな私でも僅かでも誰かのために役立てるかもしれないと思いながら、行動し続ける。自分の力が及ぶところは本当に少ない。無力感に苛まれながらもそれでもあきらめずに動くこと、それだけが、私にできることなのだと思っています。
憧れを思い出す
昭和を懐かしみながら、どこか新しい
時代を超えて進化し続ける曲があるんだな。
スレイヤーズがトレンドに入っていた
スレイヤーズがXのトレンドに入って少し議論が盛り上がっている。日本のライトノベルに与えた影響をどう評価するのかで様々な意見があり、なかなか面白い。
私は、スレイヤーズをリアルタイムで読んだ世代にあたる。スレイヤーズが発刊される以前からファンタジーは好きだったので、ナルニア国物語や指輪物語、ゲド戦記といったファンタジーの古典を好んで読む子供だった。
ライトノベルという言葉は、スレイヤーズが出た頃にはもうあった気がするが、それほど一般的ではなかったと思う。富士見ファンタジア文庫のラインナップもファンタジーだけでなくSFやハードボイルド、伝奇物はもちろん、ジュブナイルやヤングアダルト的な作品もあったと記憶している。
剣と魔法のファンタジーというカテゴリーには当てはまらない良作も多く、例えば、ザンヤルマの剣士という作品があるが、現在なら、アニメやドラマのような形で映像化されたのではないかと思う。Netflixの長編ドラマの題材になるようなテーマ性のある小説だった。
ライトノベルというと萌えキャラが出てくるようなハーレム物を思い浮かべる人も多いかもしれないが、創世記のライトノベルは、むしろそうした作品は少なかったのではないかと思う。
最近はライトノベルは読まなくなってしまったので、現在のトレンドは正確には把握していないのだが、タイムリープや異世界転生、婚約破棄など多様なテーマがとり上げられており、非常に創造的なジャンルだと捉えている。
スレイヤーズに話を戻すと、ライトノベル作品に大きく影響を与えたのかどうかについては判断に迷う。同じような構成の作品はあるかもしれないが、独自性が極めて強い内容だと思う。
あらいずみるいさんの挿絵の印象から、ライトな内容を想像する人が多いかもしれないが、実際には、ストーリーは意外に重い。恋愛要素がないことも意外にとらえらえれるかもしれない。考えがまとまらないが、日本のライトノベルを考える時にスレイヤーズの存在を抜きには語れないことは事実だと思う。
正副議長経験者に対するオーラル・ヒストリー
関わる人が心温まる時間を共有できる選挙
自分の写真はあまりネットに公開しないのですが、心から尊敬する仲間たちと選挙戦を共に戦った記録として投稿します。候補者には負けますが、私もなかなかいい顔で写っていると思いますがいかがでしょうか。
先日、9/24(日)投開票の愛知県稲沢市議会議員選挙に3期目を目指して立候補している しちおう君の応援にお邪魔しました。微力ですが、事務的なことや事務所の運営などを中心にお手伝いしました。
選挙戦の中で、しち君と関係のある皆さんとお話しする機会が多くありました。お一人お一人が、ご自身としち君の関係について楽しそうにエピソードを語られるので、お会いできたことが嬉しかったです。
私が、しち君と出会ってから10年近く経ちますが、彼の選挙に関わるたびに自分が経験的に選挙に抱いているイメージや感覚、選挙とはこういうものだと思い込んでいたことが、固定観念でしかなかったということに気づかされます。そんな気づきをくれたしち君に心から感謝しています。
例えば、候補者やその家族は、朝から晩まで選挙を優先して生活するのが当然。候補者はもちろん、支援者もギリギリまで気力体力を削るような運動をすることが選挙だといった思い込みです。若い頃から選挙に関わってきて、ある時期まで自分は関わる人にどれだけ無理を強いることができるかが選挙結果を左右すると考えてきました。今にして思うとひどい話ですし、その頃の私と時間を共にしてくださった皆さんに対して、本当に申し訳なく思います。
こうした考えは間違いだったと しち君と選挙戦を共にする中であらためて気づかされました。選挙では、1人でも多くの有権者と接触して関係性をどれだけ結べるかが重要ですが、関係者に無理を強いなくとも様々な工夫を取り入れることでつながりを結ぶことができる。そうしたことをしち君から学ばせてもらいました。
また、しち君が常に自分に関わってくれる人たちに気を配りながら、関わる人たちの自発性を引き出す行動を常にとっていることに頭が下がります。そして、彼の考えに共感する仲間の輪がどんどん広がっていることはすごいことだと思います。
しち君の魅力を一人でも多くの人に知ってもらいたいと考えて書き始めましたが、なかなか上手く文章に表現することができず、力不足を感じています。
選挙戦は、まだ、後、2日続きます。引き続き、しち君は、稲沢の各地域にうかがって、稲沢に対する思いや政策をうったえます。私の筆力不足で伝えきれていませんが、本当に魅力あふれる候補です。ぜひ、街角で彼の声に耳を傾けていただき、また、直接話かけていただければと思います。
私とご縁を結んでいただいている皆さんで稲沢市の有権者の方は、ぜひ、しちおう候補に1票を投票してください。有権者でない方は、何卒ご支援の輪を広げていただきますよう心からお願いいたします。