選挙事務長三十年

基本的には、よくあるキャリアを積んで、だいたい最終章が見えてきた政治家が出版する自叙伝。筆者が、県議会議員であることもあって、あまり聞きなれない人物の名前が突然出てきて面食らうこともしばしばといった内容だった。


 しかし、本書には史的な価値は、一定以上あると思う。奥田敬和という経世会7奉行の一人に数えられた大物政治家を地元で支えた人物の貴重な証言であり、石川県の政治風土を知ることもできる。保守政治家どうしの戦いというものが、どれだけ熾烈なものであるかということ「森奥戦争」の一旦が本書の中には書かれている。


 また、選挙の事務長を三十年にわたって務めた筆者の発言には、選挙にかかわったことがるものなら、誰しもうなづける言葉がいくつもある。例えば、選挙は我慢比べのようなもので相手の陣営が人を集めたからといって、こちらも無理に人を集めてはいけない。どうしてもそういう心境になるが、最初にこれで勝てると決めたスケジュールをきちっとこなしていくことが大事。力の配分を最後までうまくもっていけるかどうかが分かれ目といった話。なるほどと思わず私は手をうった。選挙というものはこなせばこなすほど、こうした人間心理に通じていくものなのだなということがよくわかる。


 昭和47年の衆院選の際に自らが推する候補の応援に来た大平正芳と筆者のやり取りは、選挙の修羅場と大平氏の人柄を強烈に感じさせて非常に印象に残った。少々、長いが以下に引用すると、形勢が不利な候補の事務長を務める金原氏が大平氏に「先生もう少しで勝てます。でも兵糧がありません。何とかご援助を」しばらく黙っていた大平さんが口を開いた。「この窓から見える緑も奇麗だし、川の流れもうつくしい。きたないのは人間の社会だけということですかな」。金原氏たちは黙って何もいえなかった。


 金原氏はいう選挙は人生劇場のようだと。金原氏は石川県議会の首領だった矢田富雄から選挙に必要な資金を借りたことから、奥田陣営に仲間とともに寝返る形で参加し、そのまま奥田派の大黒柱になっていく。奥田氏がなくなった後も子息の健氏を担いで、自民党を相手に選挙のたびに死闘を繰り広げていく。やはり選挙には魔物が住んでいる。80歳に近い老人の心をここまで熱くさせ続けるのだから。金原博氏は当選10回、現在も現役の県会議員である。目の前に迫った総選挙を金原氏はどう戦い抜くのだろうか、表のメディアにはその動きは見えてこないだろうが、とても気になるところだ。

選挙事務長三十年

選挙事務長三十年