現代日本政治のマトリクス

東京工業大学教授の中島岳志さんの日本記者クラブでの講演動画をたまたま拝見し、そこで紹介された現代日本政治のマトリクスについてどうとらえたらいいか、ここ数日ずっと考えています。

私は、家事の最中や就寝時にラジオを聴いたり、講演の動画を流したりすることが多いのですが、最近、聴くものがなくなってきたので新しいものを探していました。ふと、そういえば、記者クラブが以前から講演会の動画を録画配信していたと思い出し、なんとなく再生したのが下記の中島さんの動画でした。

動画では、パターナルとリベラルの価値についての横軸、リスクの社会化とリスクの個人化の縦軸でマトリクスを作って、戦後政治を俯瞰しつつ、参院選の結果を中心に現代日本政治を分析し、各党や政治家の考えを解説しています。

パターナルという概念を政治分析の枠組みに使うことについては、批判もあるようです。思想史的な正当性はわかりませんが、私は妥当な物差しと感じました。現実を分析するのにそうずれた評価軸ではないと思います。

ざっくりとですが、中島さんの分析は以下のようなものです。55年体制下の自民党は、ⅠとⅡに位置する政治家がリードしてきました。Ⅰの代表的な政治家は田中角栄、Ⅱは、大平正芳宏池会の政治家です。父権的ではあるが、リスクの社会化に熱心な田中派とリベラルな価値を持つ宏池会のタッグが政界の中核でした。

集票とバーターする形で圧力団体を通じて利益分配がおこなわれることでリスクの社会化が実現していました。ただし、この体制は、腐敗の温床にもなり、後に批判の対象となり政治改革が進むことになります。

90年代には、揺り戻しはあるもののこうしたシステムの解体が進んでいきます。ところが、利益分配型政治の仕組みが解体されても、新しい再配分の仕組みは形作られず、リスクの個人化が進んでいきます。

私は、90年代の中ごろに法学部政治学科で大学生活を過ごしましたが、当時は、行革や規制緩和、民営化といったリスクの個人化を促す議論が力を持っていたと記憶しています。新保守主義ネオリベラリズムといったこともよく話題になっていたと思います。

それはさておき、自民党の軸は2000年代になるとⅢの領域に明確に移ります。象徴としては小泉政権の誕生があげられます。

小泉総理は価値の問題(例えば歴史認識や家族観など)については、あまり関心がなく、政治戦略上の必要性からパターナルな政策を取ったことはあるものの、彼の政策の主軸はリスクの個人化にあり、田中派政治の完全な解体にありました。

ここは、中島さんの今回の分析の中では出てこなかったと思いますが、当時は野党勢力の中でもⅢの領域の影響は強かったと記憶しています。ⅡをとるのかⅢをとるのかについては、今日でも野党内の路線対立の一つの原因になっているとも感じます。

現在の安倍政権は、Ⅳの領域に位置しています。戦後政治の流れの中で見ると、価値の問題を前面に出しているという意味では、珍しい政権とみることもできると思いました。

自民党内でⅠ、Ⅱの政治勢力が影響力を失う中で、ⅢとⅣのスタンスを取る政治家が多くなってきている状況があります。安倍政権下では、すでに総選挙だけで3度選挙がおこなわれていますので、向こう20年程度は、彼らが政治家として活躍すると仮定すると、ⅢとⅣのスタンスの政治が自民党内で引き続き大きな影響力を持っていくと思います。

話がそれますが、10年ほど前から、現役の政治家や政治家志望の若者と話していて違和感を覚えることが増えました。中島さんの議論を聞いて整理ができたのですが、私が頭の中で思い描いている理想の政治家イメージはⅠの中にあり、しかし、現実に出会う政治関係者は、Ⅲが増えていたからなのだということに気づかされました。

中島さんは、著書『自民党』の中でⅢの立場をとる政治家の代表として河野太郎さんや小泉進次郎さんをあげていますが、彼らと類似のスタンスを取る政治家は、党派を超えて近年増えていると感じます。

興味深いのは、価値に関わる問題について、小泉さんや岸田さんといったポスト安倍の候補とされる政治家がスタンスを明確にしていないことです。総理を目指す以上、いずれは価値の問題を明らかにする必要があると思います。彼らが今後どういった価値を重視しているのかをどのタイミングで明らかにするのかが気になります。

ちなみに河野太郎さんは、Ⅲの政治家で、教科書的な新自由主義者として紹介されています。ご自身は新自由主義という言葉は使っていないとのことですが、スタンスを明確にされているのはよいことだと思います。

では、野党はどういった戦略を描くべきか、中島さんは、Ⅳの立ち位置をとってしまい選択肢になり損ねた希望の党の失敗を例に出し、今後野党は、Ⅳの対抗軸になりうるⅡの立ち位置を明確に取るべきと提言されています。

私も基本的には、日本の政党政治政権交代可能な形に成熟するためには、Ⅱの政治勢力を作っていくことが大事とは思います。

ただ、日本人は、パターナルなものを持つリーダーを求めている傾向があり(吉田茂田中角栄が常に理想の政治家として上位にあがることはその表れの一つだと思います)、Ⅱの立ち位置を取る戦略だけで政権をとれるのかについては、悩むところです。

中島さんは、討議型の民主主義と熟議型の民主主義についても紹介されていて、地方における熟議型の民主主義の実践が国政に影響を与えていくことに期待されていましたが、この点については、私は期待は持ちつつも懐疑的な気持ちも感じています。熟議型の民主主義を支える社会の基盤の弱さを現場で感じる場面が多く、現実には、討議型の民主主義に立脚したポピュリズムが影響を強く持つ可能性が強いのではないかと考えています。

台風の気配を感じながら、こんなことを考えていました。まとまりを欠き、結論が出る話ではないのですが、気分転換になんとなく頭の中で考えていることを出力してみました。

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