自民党政治の終わり (ちくま新書 741)

 今日、自民党政治の終わりは誰もが予感し、あるいは確信している。しかし。それにも拘らず、自民党システムに関わりうる制度を私たちは持っていないのではないか、本書を読了してはじめに感じたことである。


 本書は、導入で小沢一郎というある意味自民党システムを体現してきた政治家と、小泉純一郎というシステムの破壊者とみられている政治家を取り上げ、その歩みを紹介することからはじまる。そのうえで自民党システムとは何かを丁寧に解説していく。当選回数主義に裏打ちされた人事のシステム、政治家の個人後援会と各種業界団体に支えられたボトムアップ型の組織として自民党の姿がはっきりと描かれる。評価は、論者によってさまざまだが、現実として自民党が日本の政治を担ってこれたのは、一定こうしたシステムが世論を吸い上げ、その願いを実現してきたからだと考えられる。


 そうした自民党が政権を当たり前のように担ってこれた時代は、冷戦の終焉、グローバル化の避けようも無い進展などを受け終焉を迎えようとしている。企業経営において、成功体験を持つ企業がピンチに陥った場合、その成功体験が華々しければ華々しいほど、成功体験に固執せず改革をおこないピンチを乗り越えることが非常に難しいという話を聞いた事がある。ある意味、自民党も同じだったのかもしれない。


 日本の成功、繁栄を導いたシステムとしての自民党であるとの自負も強よかったのだろう、この20年、自民党は抜本的な組織改革にあらゆる意味で取り組めず、あるいは失敗し、一時を取り繕う策に終始してきた。その結果として今日遂に終わりの日を迎えようとしているのだろう。


 筆者は、本書の最後で自民党システムに変わりうる新しい政治システムとして、根本に立ち返った提言をおこなっている。つまりヨーロッパ標準の議員内閣制の本格的な導入である。いうまでもなく形式的には、日本は昔から議員内閣制をとっているが、筆者の言うヨーロッパ標準の議員内閣制とは、5つの要素からなっており、それが日本の議院内閣制には不足していると指摘していると私は読んだ。すなわち5つの要素とは、「政権交代」、「議会の一院と二院の機能の差別化」、「選挙時における明確な政策体系の提示」、「政府に一定の主導権を認める。与党が政府と退治することは認めない」、「説明責任を担保するためのルールと透明な仕組みの構築」である。こうやって書いてみると特に目新しいことでないことがわかる。当たり前の提言と感じる。


 結局はオーソドキシーな制度に帰らざるを得ないという提言になんというか私は、日本の政治の現実を感じ、読後わずかな疲労感とでも表現するしかない感情を覚えずにはいられなかった。

自民党政治の終わり (ちくま新書)

自民党政治の終わり (ちくま新書)