悪い癖

やはりあの場では何か発言しておくのだったと今さらながら後悔しています。空気を読んで沈黙を守ってしまった。だいたいこの辺りが着地点なのだろうなと勝手に感じて議論を避けるのは、私の悪い癖なのかなとも思っています。
今、リベラリズムについて論じている文献を少しづつ読んでいるのですが、目の前の仕事に追われていると学生の頃に学んだような社会のあり方を大括りに整理してみせる議論に魅力を感じる時があります。
もともと私は、具体的な政策についての議論よりはもう少し形而上的、哲学的な議論が好きで特に忙しくなってくると現実から離れて、〇〇とは何か的な書物を読むことが多くなります。もしくは、伝記など過去の資料に目を通します。リアルタイムの狂騒から距離を置きたくなるからだと思います。
昔、ある研究者の方と飲んでいた時に自分が若い頃にマルクス主義が流行ったのは、社会の構造をナタで切るようにわかりやすくすっきり捉えるフレームを提供してくれたからだと言われたことがあります。
ただ、わかりやすいものには往々にして害があるもので、私自身、新しい理論に触れて世の中についてわかったようになった気分にならないよう戒めていかないといけないと考えたことを思い出しました。

負け犬たちのワンスアゲイン

RHYMESTERを聴きながら事業報告書を書いています。パソコンのキーボードをたたきながらリズムをとってしまうのではかどるようなはかどらないような感じですが、次の会議の合間までの時間ちょっとした息抜きも兼ねています。次は、once againを聴こうかな。

 

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おのがデモンに聞け

『おのがデモンに聞け』タイトルだけで買って読みたくなる吉田書店の書籍です。同じ出版社の近刊では、『三木武夫秘書備忘録』も読みたいところですが、最近、まったく本を読む時間がないのと積読がおそらく100冊を軽く超えているので我慢します。
吉田書店の政治・社会系の本はすべて購入したいのですが、値が張るのと読み切るのに気力が必要なのでなかなか手が出せません。
 

オーラルヒストリーを読む

だんだんオーラルヒストリーを読むことができるようになってきて不思議な気持ちになっている。新年は、とても本を読めるような状態になかったのに2か月で心境が変わっているのが自分でも面白い。

今読んでいる宮澤弘回顧録地方自治の黎明期を淡々と語っていて面白いのだが、昨日指摘を受けてびっくりしたのは中古の価格が1万円を軽く超えていたこと。何があったのだろうか。SNSの政治クラスタや著名な研究者が話題に出すと一気に値段が上がる事があるが、そういうことなのだろうか。ちょっと理由がわからないが気になっている。私が購入した時は、中古で千円もしなかったと思う。

同じ自治省の官僚では、奥野誠亮回顧録も1万を超えていてびっくりした。昔読んだことはあるのだが、買ってはいないので安いうちに買っておけばよかったとも思う。ただ、ちょっと読みにくかった記憶があってまあいいかと思った本だったので買わなかった。安いうちに買っておくのだった。

宮澤弘氏は、コンパクトに話すタイプの人だったようで政治家にありがちなどんどん話が広がっていってまとめるのが大変という人ではなかったようで、本当はもっといろんなことを聞き出したかったが上手くいかなかったことを研究者が前書きで正直に書いているのが面白かった。

もう一つ最近面白いなと思うのは、意外な本がkindle版になっていること。古いものでも突然kindle版になることがある。そのあたりの権利関係はよくわからないのだが、ともかく、本を置いておく場所がもうないのでデジタルに切り替えるのはひとつの手だとは思っているのだが、中古の方が安いのでついついそちらを買ってしまう。

よくわからない理由で高騰した中古本の価格も再版されたり、kindle版が出ると値が落ち着く傾向があるのでそれに期待したい。

地方自治に生きる-宮澤弘回顧録-

地方自治に生きる-宮澤弘回顧録-

 

 

『舞台をまわす、舞台がまわる 山崎正和オーラルヒストリー』を読んで

半年ほど前にお世話になっている方から、劇作家の山崎正和氏のオーラルヒストリーをお借りして少しずつ読み進めてきました。9月頃に半分ほど読み終えていたのですが、結局年が変わるまでかかってやっと最後のページにたどり着くことができました。
オーラルヒストリーの内容がつまらなかったから読めなかったのではなく、自分の本を読む力が衰えてきているからだと思います。10代のころは、一日何冊でも本を読むことができたのですが、40代になり、読む気力を保つことが難しくなってきたと感じています。
それはともかく、山崎氏のオーラルヒストリーは、期待以上の内容でした。正直なところ演劇に関わる部分はほとんど私にはわかりませんでしたが(それはそれで興味深かったのですが)、各内閣との距離感、佐藤栄作福田赳夫大平正芳といった政治家との関係性、政治家との付き合い方、研究者としての活動、そして、大学や公益法人改革以前の財団の立ち上げや運営について詳細に話されている事が強く印象に残りました。
演劇については詳しい方にとっては自明のことなのだと思いますが、台本に沿って演劇を演じることが古いものとされ、衰退していた時代があったというのが、現在から見ると不思議に思います。こうした時代感覚のズレを感じられるのもオーラルヒストリーを読む醍醐味のひとつだと考えます。
オーラルヒストリーは生い立ちから聞いていく形をとるものが少なくありません。このオーラルヒストリーも山崎氏の幼少期の記憶をたどっていくところから始まります。冒頭の満州時代の生活の記憶、風景の語り方が、芸術的に感じられて官僚や政治家のオーラルヒストリーとは少し違うとも感じました。
財団の事務局が肥大化することについて、警鐘を鳴らしておられて、しかし、どうしてもそうなってしまう傾向がある。また、公益法人改革前ということもあると思いますが、山崎氏のような方が関わっていても官庁の指導への対応に大変苦労されている。今日でも似たような話を聞くことはあり、以前からこうしたことは指摘されていた事なのだと気づかされました。
これはオーラルヒストリーから離れて、私がこの間、他の財団関係の資料やインタビュー等を読んだりする中で感じている事ですが、あまりよい言葉ではないですが、エスタブリッシュというかハイソサエティな文脈の中にいない人間にとっては理解が難しいこと、リソースの配分がおこなわれている社会の空気を共有できる層があるのだと思います。
オーラルヒストリーを読むことの面白さのひとつには、私の様なものが本来見ることができないものの一端を経験することができることがあると思います。また、場合によっては自分の経験を照らし合わせて、折々に垣間見たものの意味に気づくこともある。山崎氏のオーラルヒストリーでは、そうした気づきを得ることが多かったです。
昭和の時代は、政界、官界共に学者との接点を公的、私的共につくることに熱心だったのだなという印象も受けました。私の捉え方が間違っているかもしれませんが、学会と付き合うということではなく、これはと思う学者をピックアップして研究会などに呼んだり、折々に政策についてアドバイスを求めたりしながら関係を深めていく。今日でもこういうことはおこなわれていないわけではないと思いますが、山崎氏が活躍した時代と比べると密度や濃度が違うと感じました。単純に社交や酒席を共にする機会が減ったというだけではなく、成果があがるのかわからないことにかけられた時間とお金が今とは明らかに違うと思いました。社会に余白や遊びがあったとも言えて、その点は、よい時代だったのかもしれません。
政治との関係の取り方についての話は、個人的に大変うなずけるものでした。私は知識人ではありませんので現実の政治への関わり方は山崎氏とは違いますが、長く関係を続けるには分をわきまえること、期待をしないこと、自分の政治的な考え方を実現するために政治に参加しないこと、いろんな意見は必要に応じて述べるが、それが取り入れられることは望まない。一部でよいので後でなんらかの形で活かされればよい。山崎氏が語ったこうした姿勢、考え方は、私自身が政治に関わる中で行き着いた結論めいたものとほぼそっくりで不思議な気持ちになりました。こうした内容について語っているのは、オーラルヒストリーの中で2ページ程度の分量ですが、強く印象に残りました。
貴重な書物を貸していただきありがとうございました。できるだけ早くお返しにうかがいたいと思います。直接感想をお伝えできるのが楽しみです。
 
 

宮﨑勇『証言戦後日本経済 政策形成の現場から』

鶏のミンチを大きめのつくねにして煮込みハンバーグ風にしたものをいただきました。ボリューム感があったので食べられるか少し不安だったのですが、あっさりした味付けで美味しくいただけました。ありがたいです。
積み残しになっていた原稿仕事の締め切りが今日までだったので先ほどまで書いていたのですが、なんとか間に合うタイミングで提出することができて一安心です。体力低下が著しくなかなか思うように仕事ができませんでしたが、ぼちぼち取り組めるようになってきてよかったです。
ここ数日、長時間、仕事に向き合う集中力がない中でぱらぱらと以前購入した回顧録に目を通していました。その中から一冊を手に取って、昨日、宮﨑勇『証言戦後日本経済 政策形成の現場から』を半分ほど読みました。
近年、ネットで短いレポートやコラム、記事を読むことはあってもきちんとした書籍を読む気力がほとんどなかったのですが、久しぶりに読み通すことができそうです。
私は、戦後世代の政治家の回顧録はそれなりの数読んできたつもりですが、経済畑の文献はほとんど読んでいません。宮﨑氏のことも経済企画庁長官を務めた官僚OBのエコノミストとして名前は知っていましたが、詳しくは知りませんでした。
ただ、たまたま聞き手の中村隆英氏の回顧録を読んだことがあったことや官庁エコノミストが活躍した時代のノンフィクションをいくつか目を通していたこと、宏池会関係の文献で所得倍増計画の立案に関わった官僚やエコノミストたちのことについて知る機会があったので、思ったよりも内容が頭に入りやすく気軽に読み進められたのかもしれません。
今日も続きに目を通したかったのですが、明日が早いので断念して風呂に入って寝ることにします。日が変わるまでに休む生活を心がけたいですね。
 

年が明けた

読書をしようという気力がわかないまま正月が終わろうとしている。人生を振り返ると読書熱が突然盛り上がる時があって、ひとりの作者の本をすべて読んでみたりしたことが何度もあるが、ここ数年はそういう波が来ない。

ハードボイルド小説に嵌った時は、佐々木譲北方謙三大沢在昌藤田宜永の著作を一通り読んだし、時代小説が好みだった頃は、池波正太郎藤沢周平の作品を貪るように読んだことがある。そういう頃の感覚が今の自分にはない。

年々、執着が失われ、生来何事にもこだわらない性格なためか、何事についても関心が薄くなってきているのを感じる。また、波が来る日があるといいのだが。