悪い癖

やはりあの場では何か発言しておくのだったと今さらながら後悔しています。空気を読んで沈黙を守ってしまった。だいたいこの辺りが着地点なのだろうなと勝手に感じて議論を避けるのは、私の悪い癖なのかなとも思っています。
今、リベラリズムについて論じている文献を少しづつ読んでいるのですが、目の前の仕事に追われていると学生の頃に学んだような社会のあり方を大括りに整理してみせる議論に魅力を感じる時があります。
もともと私は、具体的な政策についての議論よりはもう少し形而上的、哲学的な議論が好きで特に忙しくなってくると現実から離れて、〇〇とは何か的な書物を読むことが多くなります。もしくは、伝記など過去の資料に目を通します。リアルタイムの狂騒から距離を置きたくなるからだと思います。
昔、ある研究者の方と飲んでいた時に自分が若い頃にマルクス主義が流行ったのは、社会の構造をナタで切るようにわかりやすくすっきり捉えるフレームを提供してくれたからだと言われたことがあります。
ただ、わかりやすいものには往々にして害があるもので、私自身、新しい理論に触れて世の中についてわかったようになった気分にならないよう戒めていかないといけないと考えたことを思い出しました。