『舞台をまわす、舞台がまわる 山崎正和オーラルヒストリー』を読んで

半年ほど前にお世話になっている方から、劇作家の山崎正和氏のオーラルヒストリーをお借りして少しずつ読み進めてきました。9月頃に半分ほど読み終えていたのですが、結局年が変わるまでかかってやっと最後のページにたどり着くことができました。
オーラルヒストリーの内容がつまらなかったから読めなかったのではなく、自分の本を読む力が衰えてきているからだと思います。10代のころは、一日何冊でも本を読むことができたのですが、40代になり、読む気力を保つことが難しくなってきたと感じています。
それはともかく、山崎氏のオーラルヒストリーは、期待以上の内容でした。正直なところ演劇に関わる部分はほとんど私にはわかりませんでしたが(それはそれで興味深かったのですが)、各内閣との距離感、佐藤栄作福田赳夫大平正芳といった政治家との関係性、政治家との付き合い方、研究者としての活動、そして、大学や公益法人改革以前の財団の立ち上げや運営について詳細に話されている事が強く印象に残りました。
演劇については詳しい方にとっては自明のことなのだと思いますが、台本に沿って演劇を演じることが古いものとされ、衰退していた時代があったというのが、現在から見ると不思議に思います。こうした時代感覚のズレを感じられるのもオーラルヒストリーを読む醍醐味のひとつだと考えます。
オーラルヒストリーは生い立ちから聞いていく形をとるものが少なくありません。このオーラルヒストリーも山崎氏の幼少期の記憶をたどっていくところから始まります。冒頭の満州時代の生活の記憶、風景の語り方が、芸術的に感じられて官僚や政治家のオーラルヒストリーとは少し違うとも感じました。
財団の事務局が肥大化することについて、警鐘を鳴らしておられて、しかし、どうしてもそうなってしまう傾向がある。また、公益法人改革前ということもあると思いますが、山崎氏のような方が関わっていても官庁の指導への対応に大変苦労されている。今日でも似たような話を聞くことはあり、以前からこうしたことは指摘されていた事なのだと気づかされました。
これはオーラルヒストリーから離れて、私がこの間、他の財団関係の資料やインタビュー等を読んだりする中で感じている事ですが、あまりよい言葉ではないですが、エスタブリッシュというかハイソサエティな文脈の中にいない人間にとっては理解が難しいこと、リソースの配分がおこなわれている社会の空気を共有できる層があるのだと思います。
オーラルヒストリーを読むことの面白さのひとつには、私の様なものが本来見ることができないものの一端を経験することができることがあると思います。また、場合によっては自分の経験を照らし合わせて、折々に垣間見たものの意味に気づくこともある。山崎氏のオーラルヒストリーでは、そうした気づきを得ることが多かったです。
昭和の時代は、政界、官界共に学者との接点を公的、私的共につくることに熱心だったのだなという印象も受けました。私の捉え方が間違っているかもしれませんが、学会と付き合うということではなく、これはと思う学者をピックアップして研究会などに呼んだり、折々に政策についてアドバイスを求めたりしながら関係を深めていく。今日でもこういうことはおこなわれていないわけではないと思いますが、山崎氏が活躍した時代と比べると密度や濃度が違うと感じました。単純に社交や酒席を共にする機会が減ったというだけではなく、成果があがるのかわからないことにかけられた時間とお金が今とは明らかに違うと思いました。社会に余白や遊びがあったとも言えて、その点は、よい時代だったのかもしれません。
政治との関係の取り方についての話は、個人的に大変うなずけるものでした。私は知識人ではありませんので現実の政治への関わり方は山崎氏とは違いますが、長く関係を続けるには分をわきまえること、期待をしないこと、自分の政治的な考え方を実現するために政治に参加しないこと、いろんな意見は必要に応じて述べるが、それが取り入れられることは望まない。一部でよいので後でなんらかの形で活かされればよい。山崎氏が語ったこうした姿勢、考え方は、私自身が政治に関わる中で行き着いた結論めいたものとほぼそっくりで不思議な気持ちになりました。こうした内容について語っているのは、オーラルヒストリーの中で2ページ程度の分量ですが、強く印象に残りました。
貴重な書物を貸していただきありがとうございました。できるだけ早くお返しにうかがいたいと思います。直接感想をお伝えできるのが楽しみです。