ある地方政治家の思い出

 とりあえずやるべきことが終わり、次の段階に移るために考えを整理しようと思っていると突然、古い記憶が蘇ってくることがあります。

 若い頃に関わらせていただいた選挙で、いつも同じ思い出話を繰り返す、古老の地方政治家がいました。ほぼ毎日のように顔を合わせていたのですが、お話しするたびに彼が若い頃に仕切った選挙戦の思い出を語りだすので、私も含め若いスタッフは少々、飽きていたというか、失礼ながらめんどくさい爺さんだなあと感じていました。

 しかし、あれから時間が経ち、少しだけ彼の気持ちがわかる気がします。おそらく彼にとっては、しがらみなく自分の力を出し切って活動できた仕事(選挙)は、それが最後だったのだろうということです。

 当たり前のことですが、年を重ねれば重ねるほど、何か一つのことに全身全霊をかけるわけには、多くの人はいかなくなってきます。彼のようなある地域のボス的な政治家であれば、尚更で、全力で動くこと自体が政治的な意味を持ってしまい、思うがままに活動することはどんどんできなくなっていったのではないか。ご本人に確かめたわけではないので、的外れかもしれませんが、そう外れてもいないのではと思います。

 仲間とともに共通の目的に向かって一生懸命汗をかいて頑張る。それが許される時間というのは短く、そう何度も訪れるものではないのだなと感じています。そして、時が過ぎないとその時間の貴重さは、わからないのだなと。たまたま、彼が住んでいたまちをしばらく前に訪れる機会があり、そんなことを考えながらまちを歩いたことを思い出しました。

追記:そして、彼は、私たちに在りし日の自分を投影していたのかもしれないと考えるようになりました。一緒に熱くなりたかったんだろうなと。あの繰り返される話は、彼なりの不器用なアプローチだったのでしょう。

 もっと一緒に熱くなるのだった。自分が、在りし日の熱さをどこか懐かしむようになると、そんな風に思うようになりました。