コロナ禍の政治活動・選挙運動

昼食を準備しながら考えたこと。それでどころではないという意見も多いと思いますが、コロナ下の政治活動、選挙運動について考えてみたいとという欲求がしばらく前から止まりません。
このまま単純に運動を自粛することがよいということになると現職や組織がある候補が圧倒的に有利な状況が続きます。それは、健全な民主主義といえるでしょうか。
今こそ、選挙のあり方を変える時が来たのではないでしょうか。政治活動と選挙運動を分ける考え方や過剰な運動規制を変えなければ、状況を追認していくだけになってしまうと考えます。
単純に選挙を延期すればいいということではないと思います。議員に任期があるのは特定の個人や政党に権力を永続的に持たせないためだと理解しています。しかし、いつ今の状況が収束するかわからない中で選挙の延期を選択し永遠に引き延ばすわけにはいかないでしょう。
制度を検討し変える時間をつくるために半年から1年任期を延長するという考え方はあると思います。
様々な選挙に関わる中で、現在の制度のおかしさを痛感してきました。私は、秘書や政党関係者、選挙コンサル、政治ジャーナリスト等の政治のプロではないただのマニアなので、ある意味、彼らと市民の間の感覚で選挙を見てきたと思います。
年に数回程度ですが、立候補されたいという方の相談にのることがあります。私はいわゆるプロではないので、経験してきた範囲で選挙の実際をお伝えするのですが、あまりの現行制度の不条理さに怒り出す候補者や支援者の方があります。
そこで鈍感になって、政治業界特有のふるまい、所作を学び慣れていくことができる人が政治家になっていきます。あるいは、政治業界に関わり続けることができます。私もまたその一人であるので偉そうなことは言えません。
しかし、優秀で志がある人達が、ある種のとんち合戦、大人の文化祭に一喜一憂し、貴重な能力を本来取り組むべき政策をつくることに注げず浪費する姿にこれでいいのだろうかとの思いを強くしています。
とはいえ、勝つためには、これまでのやり方を踏襲する必要があります。だからこそ私は業界の外の立場から、必死でそのやり方を学んできました。変人と思われながらも様々な人の縁をたどって選挙に関わり続け経験を蓄積してきました。
そうした行動を取ることになった経緯については以前も書きましたので繰り返しませんが、私なりの信念があって取り組んできたことでそのことを卑下することはありません。ただ、やはりこれで本当に日本の民主主義はいいのだろうか、青臭いですが、そのように思うことが多くなってきました。
野にあり何の力もない私に何ができるのか。自問する日々が続いています。