新書365冊 2009年04月12日 23:07

 おそれいったとしかいえない。正直な気持ちだ。


 筆者は40歳代の評論家の中では抜きん出たゼネラル知識の持ち主だとTV等で見るだびに感じていた。情報収集、知識の習得には色々な方法があると思うが、読書だけに限っても相当な量を読みこなしているのだろうとは考えていたが、まさか、雑誌連載の企画のためとはいえ毎月60〜100冊にも上る新書を読み、その中から12冊を選んで評価をしレビューまで書いていたとは思いもよらなかった。週刊誌の連載時にも幾度も目にして読んでいたはずなのにそのことを意識しておらず。そのすごさにまったく気付いていなかった。分野を限定するわけではないので、当然、自然科学、社会科学、教養、サブカルなどありとあらゆる領域に及ぶ新書を読まむことになる。


 筆者は評論活動だけでなく会社経営もおこなっているとのことだし、TVをはじめとしたマスメディアへの露出も多い、どこかで必ず毎日見かけるといっていい人気のある評論家だ。休む時間も満足にとれないのではないほど忙しく時間がない中で、あれだけの量を読み、一定理解することができるというのは恐ろしい能力の持ち主だなと素直に思う。


 私ごとき比較するのは失礼に当たると思うが、読書好きを自認し周囲にもそう認められ、本に囲まれた部屋で子ども頃から暮らして来た私でも、はじめて新書(石川真澄さんの戦後政治史の岩波新書<旧版>がはじめて私が購入した新書。私が、本格的に日本の政治史に関心を持つきっかけを作ってくれた本で、初版で購入し手垢がついて擦り切れるほど読んだ思い出深い本だが、この本について書くと本筋からどんどんずれてしまうのでここでは我慢することとする)を手に取った高校生の時から考えて何冊の新書を読んだだろう。


 試しに1年数ヶ月ほど前から暮らしている今のアパートにある新書を数えたところ76冊の新書(9割がたは読了している)があった。実家の自分の部屋にある新書はどの程度の数か、あまり正確ではないかもしれないが多めに見て200〜300冊程度というところだったと思う。筆者は私が10数年かけて読んだ新書の数を半年かそこらで読んでしまったことになる。


 人は、自分より圧倒的に能力が上の存在を前にするとただひれ伏すしかないと誰かがいっていた気がするが、勝ち負けを通り越し、厳然たる力の差を私は感じた。読書好きとしては一冊でも多くの面白い本を読みたいし、これはいいと感じた本は何度でも読み返すのが普通だと思う。これだけの読書をこなし筆者はホントに楽しかったのかと、苦痛ではないのかと、それほど読書に関心のない人は思うかもしれない。しかし、それは違う、私はこれだけの数の新書を読みこなす能力を持つ「宮崎哲弥」がうらやましくて仕方がない。


 どうしても量に目が行ってしまうが、決して読み飛ばして適当な評をおこなったわけではないと読了後、私は思った。各章のレビューはもちろんだが、最終章を一読するだけで、筆者が新書という媒体、彼の言葉を借りるなら「大衆啓蒙メディア」を愛していることが伝わってくる。


 私も筆者と新書という出版形態は、何かを知りたいと思った際にに手軽に色んな知識や気付きを比較的安価で与えてくれる優良なメディアだと考えている。数年前から新書ブームといわれ新たな新書レーベルの発刊が相次いだ。現在、新書と呼ばれるものは軽く数十を数えるのではないか。あまり詳しくは知らないが、こうしたブームを批判するような向きも一部にはあったようだが、一読者としては、さまざまな新書がこれからも出版され、新たな知識、刺激、感動を与えてくれることを期待したい。

新書365冊 (朝日新書)

新書365冊 (朝日新書)