選挙運動と街宣活動

 Twitterを見ていたら、ある候補者の陣営で選挙カーを高架にひっかけてしまう事故があったとのこと。選挙カーは、普通車とは車体感覚が違うので接触事故は、熟練したドライバーでもおこしてしまいます。

 緊張を強いられる環境で、いつもとは違う運転の仕方をしますから、疲れやすく集中力も落ち事故が起きやすいのだと思います。ある陣営では、1時間に1回程度小休止を入れ、事故の防止に努めていたことを思い出します。

 選挙中は、候補者、スタッフともについつい気持ちが熱くなってしまうので、無理をしてでもどんどんやろうという雰囲気になりがちですが、事務方が状況を見ながらブレーキ役を務めることが大事だと考えます。

 こんな風に偉そうに書きましたが、私は対人関係の気配りを欠くタイプなので、配慮を忘れ随分と失敗してきました。お恥ずかしいですが、色々やらかして反省し今はそう思うという話です。

 もう一つ気を付けた方がいいと思うのは、選挙カーに道交法の一部が適応されないのは、関係者以外は誰も知らないということです。あまり無茶な選挙カーの運用はやらない方がいいですね。お叱りを受けたらすぐに車を移動するなどの対応をとるべきだと思います。

 現場では気持が熱くなっているので、ついつい法律ではこうなっていますと反論してしまいたくなるのは理解できますが、現実に通行の邪魔になるなどして、ご迷惑をおかけしているのであれば、すぐに対応すべきです。

 ただし、ケースバイケース(こどもが寝れないといった苦情を頂戴した場合は場所を変えた方がよいと思います)ですが、基本的に演説等の運動をやめる必要はないと考えます。

 多くの人にとって街頭で大きな声で演説をしている候補者は、鬱陶しいものかもしれません。しかし、選挙は民主主義の基礎を支えるものであり、国民にとってとても大事なことだと思います。

 現在の選挙制度の中で、候補者が主義主張を訴えることのできるツールや場は限られており、街頭でマイクを使うことは、一つの有力な手段であることは間違いありません。

 選挙運動のあり方についてこのままでいいとは、考えていませんが、候補者は、定められたルールの中でできることを最大限やるしかないわけです。

 参院選の選挙運動期間に入り、ふと、こんなことを考えました。

ある地方政治家の思い出

 とりあえずやるべきことが終わり、次の段階に移るために考えを整理しようと思っていると突然、古い記憶が蘇ってくることがあります。

 若い頃に関わらせていただいた選挙で、いつも同じ思い出話を繰り返す、古老の地方政治家がいました。ほぼ毎日のように顔を合わせていたのですが、お話しするたびに彼が若い頃に仕切った選挙戦の思い出を語りだすので、私も含め若いスタッフは少々、飽きていたというか、失礼ながらめんどくさい爺さんだなあと感じていました。

 しかし、あれから時間が経ち、少しだけ彼の気持ちがわかる気がします。おそらく彼にとっては、しがらみなく自分の力を出し切って活動できた仕事(選挙)は、それが最後だったのだろうということです。

 当たり前のことですが、年を重ねれば重ねるほど、何か一つのことに全身全霊をかけるわけには、多くの人はいかなくなってきます。彼のようなある地域のボス的な政治家であれば、尚更で、全力で動くこと自体が政治的な意味を持ってしまい、思うがままに活動することはどんどんできなくなっていったのではないか。ご本人に確かめたわけではないので、的外れかもしれませんが、そう外れてもいないのではと思います。

 仲間とともに共通の目的に向かって一生懸命汗をかいて頑張る。それが許される時間というのは短く、そう何度も訪れるものではないのだなと感じています。そして、時が過ぎないとその時間の貴重さは、わからないのだなと。たまたま、彼が住んでいたまちをしばらく前に訪れる機会があり、そんなことを考えながらまちを歩いたことを思い出しました。

追記:そして、彼は、私たちに在りし日の自分を投影していたのかもしれないと考えるようになりました。一緒に熱くなりたかったんだろうなと。あの繰り返される話は、彼なりの不器用なアプローチだったのでしょう。

 もっと一緒に熱くなるのだった。自分が、在りし日の熱さをどこか懐かしむようになると、そんな風に思うようになりました。

間違い電話

 私のようにあ行の名字の方には、ひょっとしたら共感?していただけるのではないかと思うのですが、時々思わぬ人から間違い電話がかかってこないですか?

 特にスマホが普及してから多くなったのですが、定期的に私の携帯電話には色んな方からお電話いただきます。すぐに出れずに折り返すと、先方の反応はなんだっけという感じで、間違いだったことがわかるのですが、実は、少し私はこのアクシデントを楽しみにしています。久しぶりにお話する方もあり、思いがけず話が盛り上がることもあります。

 一時期、知人の赤ちゃんがスマホ好きなのか、親のスマホを触ってかけてくるということもありました。赤ちゃんとコミュニケーションを取る機会はあまりないので、なかなか面白かったです(笑)

 ここしばらく、バタバタが続いていて、イライラしているのではと指摘を受けていたのですが、先ほど1本の間違い電話があったことで、不思議とクールダウンができて気持ちの切り替えになりました。

スマホ専用MV

ハードロック・ヘヴィメタル好きでアイドルには疎いのですが、ハフィントンポストの記事を見て視聴した彼女たちのMV、非常に面白かったです。

スマホを使ってこういう表現ができるとは考えもしませんでした。PCでの視聴を考慮にいれず、スマホで観ることに特化して表現を作った思い切りが、すごいと思いました。

公選法

 公選法の改正が議題にあがることは、当分ないと思っていたのですが、ひょっとしたら可能性があるのかもしれないと読み進めながら考えていました。

 若い頃に関わった選挙で、市議選ではビラが配れないことを知った時は衝撃を覚えたことを思い出します。その後、いくつかの選挙に携わる中で、戦術が極端に制限された中で競い合うことに馬鹿馬鹿しさを感じながらも生来のMっ気を刺激されるのか熱くなってきました。

 しかし、私も含めそういう選挙マニアのオヤジたちがドヤ顔で選挙の実務を担い、どんどん一般の人を選挙から遠ざける時代は、永遠のように思えて、ある日突然終わるのかもしれない。そんなことを考えました。少し寂しい気もしますが。

地方議会・議員の活動に関する座談会を読んで

 いつもお世話になっている朝霞市議のくろかわさんと大府市議のたかばさんを含む3人の地方議員による地方議会・議員の活動に関する座談会の記録です。

 ウェブマガジン議員NAVIの編集部が、ツイッターアカウント「@giinnavi」を通じて収集されている情報から、気になる発信をしている議員さんを取り上げたとのことです。

 私が申し上げるのは僭越ですが、これから地方議員を志す方は必ず読まれた方がいいと思います。既存の政治的な文脈の外から地方議員を目指す場合はもちろん、地域の政治的な文脈や党派的な関係から出馬される場合でも押さえておいて損はない内容です。

 何がお薦めなのかという点については、下手に要約すると座談会の内容を損ないそうなのであえて書きませんが、現場から見えてきた現実を率直に語っていることと、課題をしっかり見据えてその解決を粘り強く目指してらっしゃることが伝わってきました。

 座談会の後半が公開されるのが、楽しみです。

2015年をふりかえって

2015年が終わろうとしています。今年は、私にとって幸せな年でした。

30代は、迷走を続け、もはや何も自分は成し遂げることはない、自分の人生は終わったと思いながら砂をかむような日々を過ごしていました。自暴自棄になり周囲に迷惑をかけ、大事な人たちを悲しませてきました。

自らのおこないで袋小路入っただけで、誰を恨むわけでもありませんでしたが、お世話になった方々とご縁が切れてしまったことは辛かったです。頭を下げてもすまないことも世の中にはある。そんな当たり前のことを学んだ年月でもありました。

ここ数年、そんな私に機会をくださる人が何人も現れました。本当にありがたいことです。その多くが、私よりも若く、志に燃える青年たちであったことは驚きでした。

特に今年は、市民活動、政治、どちらの分野でも一定、自分なりに成せことがあったと考えています。

市民活動の分野では、数多くの出会いがありました。色々な形でご縁が深まり、さまざまな市民活動の分野で活躍されている方々の協力を得ることで新しい活動を起こすことができました。おかげさまで、新年は、さらにいくつかの動きを始めることを予定しています。

政治の分野では、幾人かの政治家の誕生と飛躍に関わることができました。選挙のさまざまなステージをあらためて学び、自分なりに理解を深めました。また、現場で得たものをこれから政治家を目指す若者と共有し、彼らが未来を切り開くことに僅かばかりでも力添えできたことは、誇りとするところです。

社会人としての技術は、伸びしろがなく20代の頃に身につけたものでなんとかだましだましやっている現状ですが、マインドは10年前とは変わったと思います。何事も自分事として考えるようになった気がします。だからといって成果につながるわけでないのは当たり前ですが、仕事への向き合い方、取り組み方は変わったと考えています。

うまく整理できてはいないのですが、最近、自分は、運動家でも政治家でもなく、「活動家」なのだと気づきました。なんだか文字にすると怪しい感じですね。いつまで今の生き方ができるのかわかりませんが、私を支えてくれる人たち、特に我儘を許してくれているつれあいへの感謝の気持ちを忘れずに今しばらくこの時が続くことを願いながら新年を迎えたいと思います。

新年も個人の多様性が尊重される社会づくりのために皆様と一緒に力を尽くしてまいります。よろしくお願いいたします。