ジェラルド・カーティス教授の引退

コロンビア大学ジェラルド・カーティス教授が引退されるとのこと。著書『代議士の誕生』は、日本の中選挙区時代の政治活動・選挙運動を詳細に分析した書として有名です。

一昔前は、一般に手に入る書籍で実際の選挙運動について学ぶことができるのは、『代議士の誕生』か白川勝彦『新憲法代議士』ぐらいしかなく、どちらも将来、選挙に出ようという人は、たいてい読んでいる本だったという印象があります。今は、もっと手ごろな本がいくらでも出ていますから、そうでもないと思いますが。

ジェラルド・カーティスの著作で『代議士の誕生』と並んで私が記憶に残っているのは、『政治と秋刀魚――日本と暮らして四五年』です。『代議士の誕生』で取り上げた中選挙区大分第2区を久しぶりに訪ねた際の感想が記されており、地域の変容に率直に驚いていたのが印象的でした。

外国人が、日本の選挙運動に密着した書としては、バク・チョルヒー『代議士のつくられ方―小選挙区の選挙戦略』がすぐに頭に浮かびます。こちらは、小選挙区時代の選挙を分析したものですが、都市部の選挙区を舞台にしており、『代議士の誕生』と合わせて読むと、選挙制度の変更や時代の移り変わりもあり、その違いが面白いです。

卵のパックに詰められたように

原文を読んでみたいです。取り上げられている事件は一時期よく話題に上った公選法違反事件ですね。要約を読んで感じたのは、プロの言うことだからと言って鵜呑みにしてはいけないということ。

それはともかく、要約が原文の筆致をどの程度忠実に現しているのかわかりませんが、心に迫る文章です。警官が卵のパックに詰められたように並んでいたという表現、すぐに情景が頭に浮かんできました。緊急時には、妙な事が記憶に残ったりするものですが、筆者の目線が感じられる一文です。

「選挙は、踊り狂った祭りのように盛り上がって過ぎ去り、その後、頭から冷水をかけられたようにその「酔い」から興覚めした。膨大な資金を「選挙」という魔物に食われた」

市民と政治家の対話の現場から

自分のこれまでの歩み、特に政治に関する部分を振り返り、これからを考える旅になりました。

先日、blog「きょうも歩く」やSNSを通じて、政治・政策に関する情報発信を積極的におこない、広く知られている朝霞市議会議員のくろかわしげるさんの活動のお手伝いに友人の政治家たちと行ってきました。

くろかわさんとは、6年ほど前に幸運にも友人を介して知り合うことができたのですが、その後、幾度かお会いする機会があり、幅広く深い見識と優しいお人柄に触れて、いつか地元にお邪魔したいと考えていました。

今回、活動を共にする中で、市民とくろかわさんが対話する場面を何度も目にしました。一貫して対等な存在として相手を見て、おべんちゃらは言わずに言うべきことを述べ、相手の意見もしっかり聞いて議論する姿に頭が下がる思いでした。

駅頭をご一緒した際にある市民の方に30分ほど時間をかけて、データや事例をあげながら、交通政策について丁寧に説明されていたのですが、最初は、どうせ答えられないだろうけど一言言ってみるかという雰囲気で話しかけてこられた方が、最後には、話しかけてよかったという感じで、名残惜しそうに帰って行かれたのが印象的でした。

こんな言い方は僭越ですが、政治家に権力者として超然とした存在であることを求める人にとっては、くろかわさんスタイルは不満かもしれません。しかし、簡単に答えがでない問題が山積みの社会において、政治家だけに判断を任せるのではなく、決定への市民の参加を促していく、市民と共に考える政治家が求められていると私は思います。

最近、私は、現場に出ることが少なくなり、人に現場に出てもらうようお願いする立場になることが多くなりました。そうした責任を引き受けることは、大変、光栄なことですし、充実感があります。ただ、まちの空気を感じる機会があまりないことを少し寂しく感じていました。

今回、まちに出て活動することで若いころの感覚を思い出し、また、現場に出ていただく人の苦労を少しは感じることができたと思います。本当に貴重な機会となりました。

くろかわしげるさんには、朝霞市議会議員選挙の告示日を11/29(日)に控えてお忙しい中、私との対話にも時間を割いていただき、心から感謝しています。お手伝いに行ったはずが、お世話をおかけしてしまいました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

【転送・転載歓迎】NPOの政治参加を考えるセミナー 〜NPO法と政治活動〜

NPOの政治参加を考えるセミナー 〜NPO法と政治活動〜

 さいたま市民活動サポートセンターの運営を来年度から市の直営とする条例改正案が、センターを利用する登録団体の一部が、施設を政治活動に使っていることを理由として可決されたことに対して、全国の NPO や市民活動団体から疑問の声があがっています。

 NPO と政治活動はどのような関係にあるのか。本セミナーでは、NPO 法人や非営利法人の政治活動についての規定に詳しい専門家をお招きし、NPO と政治活動の関係について学び、NPO の政治参加について参加者の皆さんと共に考えます。


【開催日時】2015年11月27日(金)18:45-20:45

【会場】ウィンクあいち(名古屋市中村区名駅4−4−38)会議室 1203
【定員】80 名

【講師】三木秀夫氏(弁護士・日本 NPO 学会理事)
【進行】青木研輔(東大手の会・代表世話人
【内容】講義「NPO と政治活動について考える」
質疑・意見交換

【参加費】NPO 2,000円、一般 3,000円
【参加対象】NPO、市民活動団体、市民活動支援センターや公共施設運営に関わる人(特に福祉、環境、子ども、男女共同参画などのNPOが利用する施設)、行政職員、政治家、NPOと政治活動について考えたい市民

<申込方法> ※下記内容を、FAX または Email で連絡ください。
参加区分 NPO・一般/所属団体/氏名/電話番号/Email

<申込先>
東大手の会 (青木)
TEL 090-6618-0369
FAX 052-799-2115
Email higashiote@gmail.com

【主催】東大手の会
https://www.facebook.com/higashiote
※東海地域の NPO/NGO などの民間非営利組織のスタッフ・役員で作るネットワークとして NPO 向けに研修・交流機会を提供。NPO に関する調査研究、政策提言などに取り組む


政治は政治家の専有物か

「「政治家」なる肩書の人以外は、「政治的テーマ」に関わってはいけないのか?市民が街や社会を良くしようと自分たちで動くことを容認しないのか。市民はお祭りの運営やゴミ拾いでもしておけばいいということなのか?」

原田さんの投稿を読んでいて、古い記憶が蘇ってきました。一部の政治家には、政治は、政治家の専有物で一般の国民に政治についてとやかく言ってほしくないという空気が確かにあった。それをかって私は感じていたけれども、忘れてしまっていた。この事件について知って、どうやら、そういう雰囲気は、残念ながら今も続いているのだということに気付きました。

最近、普通に会話できる政治家とばかり出会うので、そういう政治的空間が当たり前にあることを忘れていました。私が、若いころは、政治家の前で政策の話をすることは考えられなかったし、実際、政策について語ってしまった先輩が、お前はそんな話ができる身分ではないという叱責を受けていたことを思い出しました。

世の中は変わったと思っていましたが、そんなことは実はないのかもしれない。昨日から、そんなことばかり考えています。

決まったものはない?

今週のお題「私のテーマソング」

 あらためて考えてみると決まったものはないということに気付く。

 若いころは、特定の曲を延々とリピートすることが多かったが、今では音楽自体それほど聞くことがなくなってしまった。聞きたいものがなくなったというよりは、何事にも情熱がなくなってきたということなのだと思う。

 飲んでいるときは、一瞬、情熱のきらめきが蘇る気がするが、たいてい錯覚で惰性で生きているだけなのかと感じることが多くなった。こういう気分を表すよい曲はないものか。

 そう考えていると、ふと、スガシシカオの黄金の月の出だしのフレーズが頭に浮かんだ。今、この瞬間のテーマソングはこれかな。

カッターシャツとトランクス

先ほど電車に乗っていて、ふと座席から前を見上げたら、目の前の男性のズボンとカッターシャツの隙間からトランクスが覗いていました。はて、どうしてトランクスが見えるのか、何かおかしいなあと思ってじっくり観察すると、カッターシャツをトランクスの中に入れて、その上からズボンを掃いている様子。新感覚のファッションなのかなと考えながら、電車を後にしました。