殴り書きのように文書を書き始めた。まとまらない思考の断片を書き留めておきたくて書いている。
治安が安定した国に育ち、質を問わなければ衣食住には不自由せず、一見平等な社会の中で生きているように感じるかもしれない。平成の前半ぐらいまでは、大方の日本人は個人的な不満はあっても、社会に対して根本的な不満を持つことはなかったのではないだろうか。
令和の今は、社会に存在する格差がメディアを通じて可視化されてきているので、そんなのんきな人は少ないかもしれないが、それでも閉じられた世界の中で生きていると、もっと根本的に埋められない断層のような格差が世界にはあることに気づかないかもしれない。
そうでない人たちが存在したことも、私は知っているが、多くの人々は、そうした存在に気づいていないか、無視していた。そのこと自身は課題だが、ここで書きたいことからはずれる。
今、私は、生まれながらに豊かなリソースを与えてくれるコミュニティに所属できている階層の人々が存在することを実感を持って認知させられている。そして、後からその仲間になることは、単純な努力では実現できない、難しいことだということもわかってきている。当たり前のことだが人は平等ではない。
ある時期の日本の社会には流動性があるように見えたことがあったかもしれないが、それは幻想で、最初から上層と下層の間には大きな溝があったのだと思う。開国や戦争のような大きな変動がない限り、それを乗り越えることは容易ではない。むしろテクノロジーが発達し、貧富の格差が信じられないほど拡大した現代の社会においてこそ、その差は固定化しているのだと気づかされる。
書いているうちに陳腐な言葉の羅列になってしまった。もう少し違うことを考えていたはずなのに。