NPOである意味は何か

 筆者の意図しているところからはずれるとは思うのですが、興味深い論考(NPO法人クロスフィールズ 小沼大地のブログNPOが陥るエリート主義という機能不全)で、拝読して考えるところが多かったので感じたことをメモとして書き起こします。

 「企業活動というGの世界への迎合」について、共感します。企業が専門性を持っているように、NPOも専門性をこれまでの活動で積み重ねて築いてきたと感じています。お互いに敬意を持って接することが大事だと考えます。

 グローバルに活動する企業とNPOの運営は簡単に比較できないし、無理にそうした企業の活動を参考にNPOの運営を考えることには慎重になった方がよいと考えています。ここ数年、中小の企業の経営者さんとお話しする機会があり、大変勉強になっています。

 グローバル企業から学べることも多いと思いますが、地域で何十年も継続して事業を営んできた中小企業から、同じ中小の事業者として学ぶことは多いと感じています。

 「Lの世界の代弁者であるという立ち位置の喪失」について。NPOとして活動のアイデンティティをどこに置くのか。その原点をふり返り確認することは大事だと考えています。例えば、NPOには市民の社会参加を促すという機能が期待されてきたと思いますが、近年、十分にその意義が認識されていないのではないかと感じることがあります。

 NPOである意味は何かについて、自分のNPO活動を通じて、僭越ですがNPOセクターに関わる皆さんとともに考えていきたいと思います。これまでも細々とそうした機会を作ってきましたが、引き続き取り組みをすすめていきます。

 「高学歴エリートの職場であるという体質」について。これはNPOセクターのどこを切り取るかで、随分と印象が変わると思います。中央と地方では違う傾向がありそうですし、世代、活動分野によっても異なる可能性があると思います。

 私が、継続して関わってきた中間支援分野の経営層、事務局のコアスタッフについては、高学歴の人が多いという印象があります。2,000年に初めて中間支援NPOで仕事をした時には、私を除いてはスタッフに偏差値60以下の大学の出身者がおらず、とんでもないところに来てしまったと思ったことを憶えています。

 その後、NPONGOの役職員のネットワークを組織し、活動してきたことから、さまざまな団体のスタッフの経歴に触れてきましたが、海外の大学出身者や大学院を修了者などが珍しくなく、驚かされてきました。

 一般的に高学歴者は、職業能力だけでなく、ソーシャルキャピタルも豊富で高いパフォーマンスを発揮する人が多い印象があります。ただし、だから長くNPOで活動できるかというとそうでもなく、より自分の実力の発揮できるフィールドに羽ばたいていく方も多いと感じています。もちろん、悪いことではないのですが。

 結局のところ経歴の内容に関わらず、ここに残る理由がある人がNPOセクターには残っていると思います。しかし、私は、「負け犬たちのワンスアゲインの場」としてNPOに関わって生きてきた口ですが、こういう感覚(ここに残る理由)は、今は少数なのかもしれないと感じ、一抹の寂しさを覚えています。