NPO!?なんのためだれのため―「NPOとまちづくり」現場からの本音トーク

 NPO法施行10周年を控えた2007年から2008年にかけて、NPOの歩みを振り返る書籍が何冊か出版された。本書もその中の一冊。


 中村陽一、加藤哲夫、早瀬昇、山岡義典、上田文雄NPOで働くものなら誰でもその名を一度は目にしたことがあるであろう業界の著名人たちと、日本青年会議所の第46代会頭を務めたまちづくり市民財団理事長の村岡兼幸の対談集。彼が会頭であった97年は、市民活動にかかわる人々のNPO法への熱がまさに最高潮に達した頃だったのではないか。そのせいだけではもちろんないのだろうが、村岡氏はNPOによる社会変革を掲げて会頭を務めたと聞く。パトリ(郷土)というよりは、カントリーかネイションという雰囲気をまとったようにみえる(別にそれが悪いわけではないけれども)現在のJCからすると少し違和感を覚えるが、脱線してしまうのでここでは、その議論はひとまず置くこととする。


 5人の論客は、対話を通じてそれぞれ貴重な証言や提言をおこなっている。この対談の中での発言だったと記憶しているのだが、再読してもどうしても探せなかった言葉がある。それはこんな言葉だった。NPOというのはマジックワードであったと。時代の閉塞感を吹き飛ばしてくれるようなそんな概念だったという意味の発言があったと思うのだが、残念ながらそのくだりを見つけることができなかった。


 もしかしたら他の本で目にしたのかもしれない、ただ、私自身も10年ほどNPOにかかわってきて思うのだが、中村氏がいうようにNPOという一つの言葉が時代をうごかしたことは確かだが、そうした時代はもう終わったことは間違いない。そして当たり前のことだがNPOは魔法の呪文ではなかった。社会に無数にある問題をある一つの概念なり存在が解決してくれるなどということはありえない。むしろそう信じることは危険であり、また、時に喜劇だ。


 NPOの数は確かに増えた。しかし、果たして、この国の公のあり方を変え、社会を変革し、よりよくする力を本当にもっていると言い切れるのか。私は期待しつつも確信を持てないでいる。だが、それでも個と個が断絶し、生きづらさなるものが語られなくてはいけなくなってしまったこの国で、人と人をつなぐ媒介としてNPOが一定の力を持っていることだけは信じたい。そんなことを考えながら本書を興味深く読んだ。

NPO!?なんのためだれのため―「NPOとまちづくり」現場からの本音トーク

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