服部則仁さんの思い出

 服部則仁さんが、編集に関われた『NPO!? なんのため だれのため「NPOとまちづくり」現場からの本音トーク』を助成金の申請書を書いている最中にふと手に取ったのは、服部さんがお亡くなりになる数日前でした。

 本当は、お別れにうかがいたかったのですが、申請書の〆切と葬儀が重なってしまい、大変失礼ながら欠席し不義理をしてしまいました。

 服部さんとはじめてお会いしたのは、2000年頃だったと記憶しています。当時、私が勤めていたNPOを時々訪ねていらして、いろんなお話をされていく、話し好きの会社経営者でJCのOBさんで、どうも偉い方らしいという印象をもっていました。

 私は、新人スタッフとして来客者の対応をすることが多かったので、服部さんとさまざまなお話をする機会に恵まれました。今思うと当時の私は正確に理解できていたとはいえませんでしたが、無知な若者にNPOについて教えていただいていたのだと思います。ありがたいことでした。

 まだ、NPO法が施行されてから日が浅く、愛知のNPO法人は100以下だった時代でしたから、NPOセクターをさらに発展させるために強い思いと期待を持って行動する先輩が大勢活躍されていました。日本青年会議所NPO推進政策委員会委員長を務められた服部さんもそのお一人だったと思います。

 実は、服部さんのお名前を聞くたびに申し訳ないという思いが常にありました。

 私が、職場を変えてからも服部さんとはさまざまな場面で交流する機会があり、ご縁が少しづつ深まっていました。

 前述の書籍の製作に服部さんは関わられたのですが、出版がされるとすぐに現物を届けてくださいました。写真の書籍はその時にいただいたものです。その際に読書会を企画しないかとご提案をいただいたのですが、私は、あまり深く考えずにその場で断ってしまいました。

 当時の私は、NPOに対して情熱を失いつつあり、仕事に対しても前向きさがなくなっていた時期でした。これ以上、やることを増やしたくないという気持ちから、真面目に検討することなく貴重な機会を潰してしまいました。大変、失礼なことをしてしまいました。

 今は、NPO、市民活動の歴史をつくってきた世代と将来を担う世代の中間の世代として、僭越ですが両者をつないでいく役割の一端を担いたいと考えるようになりました。虫のいい話ですが、時間を巻き戻せればいいのにとつい考えてしまいます。

 服部さんは、その後も私との付き合いを続けてくださいました。私が職を失ったとき、仕事を紹介してくださったこともありました。この時は、NPOに関わることはもう何もやりたくないと思い、無礼にもきちんとお返事をすることなくご提案を無視してしまいました。

 時期は読書会の件よりも前で、実現しませんでしたが、光栄にもまちづくり市民財団が発行されていた『まちづくりと市民参加』に原稿を書かないと誘っていただいたこともありました。

 さらに後年、私が、服部さんと一緒に取り組んでいた仕事を途中で投げ出し時は、さすがにこれで服部さんとのご縁も終わったと思っていました。その後、恥ずかしながらさまざまな人のご好意を得て、ありがたいことにNPOの世界で仕事を続けさせていただくことができましたが、服部さんには、顔向けができないと常に考えていました。

 少し前にたまたまある行事で服部さんと偶然お会いする機会がありました。長年の無礼、不義理をお詫びすると、気にしていないからねと言っていただけたことが、本当にありがたかったです。

 きっと罵倒されると思っていたのですが、そんなことをされるわけはなく、服部さんのお人柄を理解できていなかったと恥ずかしく思ったことを憶えています。

 いつか地道に一つひとつの活動を積み重ねる中で、服部さんから受けた恩に対して何かお返ししたい、そう考えていた矢先に訃報に接し衝撃を受けました。

 このような文章を書き公開することがよいことなのかどうか悩み、迷いましたが、私なりに服部さんに対して追悼の気持ちを表したくまとめさせていただきました。

 服部則仁様の在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

NPO!?なんのためだれのため―「NPOとまちづくり」現場からの本音トーク

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