選挙の思い出・関わり方によって見えてくるものの違い

選挙は関わり方によって見えてくるものが違うと考えています。私が、立候補の決意から、選挙前の段取り、選挙戦、投開票まで様々な選挙に関わる流れを候補者のそばで一通り経験したのは、30代に入ってからでした。
時々、この時のことについては書いているのですが、後輩の選挙でそうした選挙のプロセスに関わって始めて、選挙を戦うためにそれぞれの段階で何が必要なのか、全体の流れがおぼろげながらに見えるようになりました。
この時の選挙に敗北し彼を落選させてしまったことが、私が、本気で選挙に拘るようになった大きな理由のひとつです。当時よりは経験を重ねましたが、今でも何かがわかったとは言いません。ただ、あれ以来、自分が関わる選挙では、常に自分が何ができるのか、何をすべきなのかを真剣に自問するようになりました。
それまでも選挙戦の期間、ずっと選挙運動に参加したり、事前の活動に関わったりという経験は少ないながらもありました。しかし、そうした経験と選挙全体の戦略を立て、スケジュールを考え、資機材を用意し、人を配置することの中核の役割を担うのとでは、見えてくる景色がまるで違いました。
気を付けないといけないのは、こうした流れは、仮に候補者が同じであっても選挙によって違うということです。基礎になる要素は共通のものがありますが、その時々の陣営の事情や関わる人の違い、土地柄、そうした諸々の事柄の影響を受けて選挙は変化します。同じ選挙は二度とないということです。
私は、選挙に関わる時は、自分のこれまでの経験をベースに考えながらも、今回はどういう状況なのかということをできるだけ客観的に見るように心掛けています。
土地ごとにローカルルールが異なる公選法の運用状況に合わせて戦うということも必要ですが、そうしたことよりも重要なのは、どういうやり方が、その陣営に合っていて結果につながるのかをしっかり考えることです。
また、自分のやり方や理想を押し付けることも厳禁と考えています。極端に感じられるかもしれませんが、勝つためにはそうしたことは邪魔になるだけだと思っています。
今回は、抽象的な話になってしまいました。あまりうまく自分のが考えをまとめられませんでしたが、今日のところはこれぐらいにしたいと思います。