選挙の思い出・96年総選挙の記憶。昭和のなごりと不完全燃焼

あれから4半世紀近くの時が経ったことをあらためて確認してなんともいえない感情に囚われています。実は、私の96年総選挙の経験は10日にも満たないため大したものではありません。
中年に差し掛かった頃に経験することになる感情がぶつかり合い、何と戦っているかわからなくなるほど悩み、頭と気持ちを限界まで追い込み、選挙が終わってみたら体重がびっくりするほど落ちている。そんな選挙とは比較にならないぐらい楽な経験だったのですが、それでもこの時の経験は貴重で2度と経験できないものでした。
96年の春に大学に入学し、18歳だった私は、友人に誘われて選挙のアルバイトをすることになりました。総選挙はまだ始まっていない少し前の時期だったと思います。
私のようなアルバイトは、その事務所には少なく見積もっても数十人はいました(最後には雇い過ぎて仕事がなくなる人が出ていたぐらいです)。細かい話ですが、当時の法律では、18歳は選挙運動に携わることはできませんので政治活動の枠組みの中で雇い、そのまま単純労務に当てるという流れだったのだと思います。
このように書いたのは、街宣や街頭演説といった一般に想像されれる選挙運動に従事した記憶がないからです。新人候補ではあったのですが、ベテランの地方議員から転身した方が候補者であり、選挙違反を犯さないようにそのあたりの体制はしっかりしていたのだと思います。
私は国政選挙の経験は今に至るも数えるほどしかないのですが、その後経験したどの選挙と比べても、人員やスケールの面でこれほど充実した選挙はありません。上述のアルバイトの数にそれは表れています。
96年の総選挙は、中選挙区の名残を残した選挙だったと思います。まだ、選挙という取り組みが祭りとして成立しており人を集めることができた時代でした。
記憶をふりかえると巨大な事務所に連日、何をするでもなく多くの人が集まり、茶菓子を齧りながらテレビを見ていたことを思い出します。こうしたことは現在もないわけではないですが、私の経験に限ったことですが、少なくなっていると感じます。
さて、私のアルバイトの内容ですが、ほぼ集会の設営をしていました。その他は、為書や背ビラを書くための墨をすった記憶もあります。今は印刷業者に頼むことが一般的になりましたが、昔は字が上手い人が手書きで書くことが多かったですね。
それはともかく、集会の設営はなかなか面白かったです。先輩が運転するバンに載せられて会場まで行き、マイクをセットし椅子や座布団を並べ、候補者のポスターを貼る。
そんなに大きな施設で集会をするわけではなく、公民館や寺が会場ですから長くとも1時間あれば準備は整います。段取りが整ったら、のんびり食事をとりに出かけて、集会の開始前に戻って駐車場の整理などをしながら終わったら撤収作業をして事務所に戻り解散といった流れだったと思います。1日に何度も集会を各地で実施するので、こうした設営部隊がいくつもありました。
候補者の話を聞く機会はあまりなく、会場内の担当になった時だけでした。20年以上の前のことですので、残念ながら候補者の話は記憶にありません。実際、事務所でも姿を見かけたことがほとんどなく、一言、二言交わした程度だったと思います。
記憶に残っているのは、幾人かの応援弁士の方です。ひたすら対立候補の悪口を言っている人や選挙情勢の話を延々と話して危機感を煽る人など多彩でした。共通しているのは、ほぼ政策の話はなかったことですね。
候補者が雨が降ろうが雪が降ろうがずっと街頭に立って挨拶を続けている姿に胸を打たれたという応援演説をした方がいたことを不思議と今でも覚えています(この方は後に議員になりました)。
もう一つ覚えているのは、子育て世代と思わしき女性が集会の途中で期待外れという顔をして席を立ったことです。小さな集会所だったのでその方が途中で帰ったのは目立ちました。たまたま帰りに靴をお渡ししたのが私だったので、彼女の何とも言えない失望感のある表情をなぜか鮮明に思い出すことができます。
こんな体験を重ねる日々は、急なアルバイトの人員整理がおこなわれたため突然、選挙結果を見ることなく終わることになります(候補者はその後当選)。なんとも不完全燃焼な幕切れでした。私と政治をつなぐ線は、ここで一旦途切れることになります。
長くなりました。後々思い返すとこの時、政治の世界に自然に入っていけないかったことが、自分の人生を大きく変えることになってしまうのですが、その辺りのことはまたあらためて。