木野秀明氏の逝去の報に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます

 特定非営利活動法人ボランタリーネイバーズ副理事長の木野秀明氏の逝去の報に対し、謹んで哀悼の誠を捧げるものであります。


 2012年6月27日に逝去されました木野秀明氏に対して哀悼の言葉を記すことがどうしても、この一ヶ月できませんでした。


 木野さん(以下、普段お呼びしていた通りに木野さんと表記します)の死を認め哀悼の意を明らかにしてしまえば、木野さんと私のつながりが消えてしまうのではないのか、そんな思いにかられ躊躇しているうちに時が過ぎてしまいました。たまたま、下記の、ブログに木野さんに対する追悼文が投稿されていることを知り、そのエントリー読み終え、意を決して私の木野さんについての思いをここに記すことで哀悼の気持ちをあらわしたいと思います。


 私が、木野さんのことを初めて知ったのは、名古屋で2001年に開催されたNPO全国フォーラムを通じてだったと記憶しています。ただし、この時点では、直接の面識はなかったと思います。会っていても簡単にご挨拶を交わした程度だったのではなかっでしょうか、正直なところこの頃の私はあまりにも多くの人と短い期間に面識を得ていて、記憶が定かではないところがあります。


 しっかりした形で接点が生まれたのは、2003年にあるイベントの実行委員長を木野さんにお願いしたことからでした。残念ながら色々な事情があり木野さんには、実行委員長をお引き受けいただけなかったのですが、お断りになる際のお言葉が大変丁寧で、私のような若輩の者に対して過分なほど誠意に満ちた言葉をかけていただき、大変驚いたことを今でもはっきりと記憶しています。木野さんは、非常に社会的に高い地位にある方であり、市民活動に関する実績も豊富で、私のようなものはほどほどに扱っても何ら批難を浴びないであろうにも関わらず、そのような態度を取られたことに、本当に僭越ですが私は大変好感を感じました。


 また、その後も当時私の勤めていた施設を定期的にご利用いただき、親しく声をかけていただけたことが本当にうれしかったことを思い出します。残念ながら私は、木野さんが、ボランタリーネイバーズとは別に力をいれて活動されていた「市民とメディア研究会・あくせす」の活動に参加することはできませんでしたが、市民メディアが持つ意義と可能性を追求し息の長い活動を続けてこられた木野さんには、強い敬意を感じていました。現在から振り返るとソーシャルメデイアが確立する遥か以前から市民メディアに関する活動を積み重ねてらしたのですから、その先見性、先駆性は素晴らしいものだったのだなと、今更ながら再認識しています。木野さんが市民が自らソーシャルメデイア等を活用し情報を発信することが、日常となりつつある現在の社会をどのように考えておられたのか、ぜひ聞いてみたいと考えていましたが、その機会は、永遠に失われてしまいました。本当に悲しく残念でなりません。


 誤解を招くかもしれませんが、私は、いわゆる一流企業に勤めてらっしゃるサラリーマンには、多少苦手意識があります。政治、行政、NPOと公共セクターのでの経験はそれなりに積んできましたが、いわゆる営利のセクターに属したことがなく、接したことも少ないので特に大企業のサラリーマンに会うとどうしても無意識に緊張してしまいます。自営業の方や、中小の商店主には、それなりに接してきた経験あるので苦手意識はないのですが、組織労働者と言いますか、何千、何万の従業員が勤めている会社のサラリーマンの方に対してはどうしても気後れしてしまうところがあります。私が勝手に壁を感じているだけなのでしょうが、特に若い頃はそういう傾向が強くありました。


 しかし、木野さんは、一流企業の幹部社員でありながら、まったくそうした苦手意識を私に感じさせない人でした。いつお会いしても明るく、人懐っこく、もちろん偉そうにすることなどまったくなく、誰に対しても壁を作らないお人柄でした。本当に素晴らしい方でした。


 私が、ボランタリーネイバーズで仕事をするようになってからは木野さんとは、顔を合わせる機会こそ増えましたが、残念ながら一緒にお仕事をさせていただくことはほとんどありませんでした。しかし一度だけある仕事で一日中ご一緒したことがあります。その際、未熟な私をさりげなくフォローしてくださり、大変助けていただきました。また、NPO、市民活動の話をたくさん聞かせてくださり、貴重な知識を教えてくださいました。その時にわかったのは、木野さんが、本当に色んな方と分け隔てなく日常的にお付き合いをされていたということです。どちらかといえば、癖のある性格の方とも深い親交を結んでらしたことを知り、非常に驚かされました。本当に徳のある方とはこういう人のことをいうのだなと感じたことを覚えています。


 そんな木野さんともうお話することができないのだと思うと、心の底から悲しくて仕方がありません。もっと私から積極的に交流を持つように努力するのだったと今更後悔しています。


 亡くなる少し前に木野さんは、私の行く末を心配してくださっていたと最近、人を介して聞きました。本当にありがたいことです。いつか、そのお気持ちに必ず応えたいと思います。


 木野秀明様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。


※本稿は、Facebookに2012年7月29日付けで投稿した文章を加筆修正し投稿したものです。

追悼・木野秀明さん | 岩本太郎ブログ(お前はただの馬鹿にすぎない) 追悼・木野秀明さん | 岩本太郎ブログ(お前はただの馬鹿にすぎない)