対立軸が対立軸たり得ず、何でも包括してしまう体制、それはアルカディアだったのか?

 対立軸が対立軸たり得ず、何でも包括してしまう体制、それが戦後日本だった。概ね国民は幸せの中にあったはず。今から思い返せばだが。結局、それを望み選んだのは国民。意識してではなかったとしても。

 もちろん時代が進んである意味、昔よりは多様性が認められるようになり、色んな生き方ができるようになり、そういう生き方ができる個人にとっては、現在は良い時代なのかもしれない。

 決められない政治が始まったのが、竹下派の分裂、小沢派の離党からであることには異論はない。ただ、その次に来る政治体制を未だに決定することができないでいるとは、あの頃の自分は、想像もしなかった。

 そういえば、大学時代の恩師が、自分が学生の頃(70年代)自民党政権がこんなに続くとは思ってもみなかっとおっしゃっていたが、同じような気分に今なっている。

 最後にどうでもいいことだが、この図表は面白い。小沢氏、細川氏だけなぜ個人名...

●図16.自社さ連立(左)と橋下六大改革(右)の対立軸 小野耕二『日本政治の転換点 第3版』をもとに作成
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120612/233237/?SS=nboimgview&FD=54139247

小沢一郎の「改造計画」は田中派支配を終焉させたのか:日経ビジネスオンライン 小沢一郎の「改造計画」は田中派支配を終焉させたのか:日経ビジネスオンライン

日本改造計画

日本改造計画

日本列島改造論 (1972年)

日本列島改造論 (1972年)