お父さん、愛しています。 児童文学作家上條さなえさん(日経新聞夕刊2009/7/6〜7/10人間発見)

 どうしようもない父とその父に苦しめられながらも愛することを止めなかった娘との関係を書いた重たい話なのだが、毎日、楽しみに読ませてもらった。残念ながら、今日で連載は終わってしまったが、愛するとはどういことなのか、深く考えさせられる記事だった。記事は、児童文学作家の上條さなえさんが語った幼少期から家庭環境のについての話を記者が聞いてまとめる形をとっている。表題の通り、主に上條さんとその父親の話を中心に語られる。


 私は上條さんがどんな作家でどんな作品を書いているのかまったく知らない。調べる気になれば、いくらでもインターネットで調べることができるのだろうが、なぜか調べる気にならなかったので上條さんについての予備知識は抜きにこの日記を書いている。毎日、記事を読んでいてともかく父親の行状のひどさに思わず苦笑がもれることもしばしばあった。あまりにひどい事実にふれると人は笑う以外の反応を返せなくなるのかもしれない。


 美しく聡明な妻へのコンプレックス、自らの学歴のなさ、父の転落のきっかけはそんなありふれた理由だ。酒におぼれ家族に暴力をふるう。挙句の果てには職も失い、家も失う。可愛がっていた娘とも別れなくてはいけなくなる。悲惨な状況にもめげず教師の職を得て自立した娘のところには金の無心に再三あらわれる。最低といっても誰からも文句がでない父親なのだが、それでも娘は、私は父に愛されていたと言う。


 上條さんが晩年、父親から聞いた言葉「おまえには世界で一番素晴らしいお母さんをあげた。それがおれのプレゼントだ」。その言葉を上條さんは忘れず、父は、母の愛を信じ、自分のことを愛してくれたと言う。私は、草食系が多いと言われる同世代の男の中でも相当気が長いほうだと自任しているし、怒ることも滅多にしない臆病な気質の人間だが、上條さんと同じ状況にあったら、正直なところ、父親に対して上條さんのような心境に至ることはできないと思う。連載を読み終えて多少の違和感が残ったのは、上條さんの心に私が同調できなったことに原因があるのかもしれない。


 しかし、この父親はどうしようもない男だが、とても幸せな男だ。父親の人生を見ながら自分はここまで転落して生きられないなと考えながらも、どこかうらやましいと感じてしまった。女性や子どもに暴力を振るうことはいけないとか、そんな道徳めいたことをここで書いても意味がない。自分の正直な気持ちを書くべきだと思う。高潔な精神や無償の愛とか優しさ、そんな感情を自分に向けられることがどうしようもなく辛く感じるそんな人間も世の中にはいる。おそらくこの父親もそういう部類の人間だったのではないか。弱いと言ってしまえばそこで終わりだし、愚かな人間だと断じることは容易い。だが、私は、なぜかそんな人間に共感を覚えてしまう。なぜなのだろう。


人気ブログランキングへ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ ブログ王でアクセスアップ!! BS blog Ranking