90年代半ばから2000年代半ばまでの10年余りに渡って政界に大きな影響を与えながら、ほとんど研究らしい研究がなされていない政治家「青木幹雄」を取り上げた現在のところ唯一のノンフィクション。
残念なことに傑出した取材力を持つ筆者の手をもってしてもほとんどその人物像の輪郭にしか迫れていないとの印象を持った。直接の取材を受け付けないためどうしようもないのかもしれないが、どうしても物足りなさを感じずにはいられなかった。これは筆者の責任ではなく青木について、あまりにも社会に情報が不足していることのあらわれではないか。
青木は、これだけマスメディアが発達し政治家のテレビ出演が常態化している時代にもかかわらず、ほぼ、一切テレビに出演しない。出演しても国政選挙の開票速報などで多少コメントを出す場面を見かける程度。また、ホームページも造っておらず(野中広務ですら現職のころは開設していた)、新聞や総合誌、週刊誌といった古典的メディアに登場することもほとんどない。政策の勉強をすると政局の勘が鈍るといって一切政策を学ぶことをしないというのは有名な話だが、よって、ある程度のレベルの政治家なら皆出すゴーストライターの手による政策本(提灯本)も出版されていない。
おそらく青木は、自らの政治家としての歩みや心情について語ったことは、公式には一切ないのではないか。通常、自己愛が強く自己顕示欲の塊のような人格の持ち主が多い政治家の中で青木の存在は稀有なものといってよいと思う。
例えば、青木が仕えた竹下登がそうであったように青木はポストも同期にどんどん譲り、自分は大臣には最後になった。恩を押し売りするのではなく、周囲に自然に恩や借りを感じずにはいられなくする。そうした技術に恐ろしく優れているのだろう。
また、確固たる理念を持たないことが権力闘争に勝ち抜くにあたって邪魔となる足かせがないことにつながっている。野中広務は、自らの心情から小泉純一郎を支持することができず失脚した。力学だけで動いていれば、野中は今も現役の政治家であったかもしれない。そういう判断力は野中にはあったに違いない。しかし、こだわりがあるが故に野中はその道を選ぶことができなかった。だが、青木は違う、おそらくなんの躊躇もなく小泉の下に走ったのではないか。
青木は、55年体制が生んだ最後の政治屋なのかもしれない。ただ、政界という名の海を泳ぎきる技術だけを磨いて生き残ってきた。そんな人物像を思い浮かべることができる。しかし、泳いだ先に何を手に入れようとしていたのか、結局のところ語らずわからないまま終わるのだろう。あるいは、本人にもわかっていないのかもしれないが。いや、そんな甘い考えを持った人物ではないのだろう。
いつか青木の心の奥底に迫るドキュメンタリーを読んでみたい。たとえそこに空洞しかなかったとしてもだ。
- 作者: 松田賢弥
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