名古屋市長選こうすれば自公は勝利できたのでは?

 いまさらの感はありますが、先ごろおこなわれた名古屋市長選でこうすれば自公は勝利できたのではないかと、妄想してみました。こうしたことを考えたきっかけは特にないのですが、本当に自公は勝利することができなかったのかという疑問が、なぜかどうしても頭から消えませんでした。そこで色々と私なりにかんがえてみたのですが、結論は「百戦百勝非善之善者也」つまり闘わずして勝つ、そういう状態に局面をもっていくことができれば自公の勝利はありえたのではないか。歴史の針を戻すことはできませんが、そうした思考実験に興じてみるのも面白いんじゃないでしょうか、以下は、その具体的な思索の記録です。


 まずは、自公の基礎票がどの程度あるのか最近の国政選挙の結果等から確認します。


 2007年の参院選自民党の鈴木政二候補は、名古屋市内で174,753票、公明党の山本保候補は、180,454票を得ています。また、この選挙は全国的に民主党が大勝した選挙であり、谷岡くにこ候補は、217,514票、大塚耕平候補は235,313票と2候補で約450,000票の得票を得ています。また、社民党の平山良平候補は20,779票を得ています。比例区の得票は、自由民主党203,063票、民主党411,576票、公明党135,863票、社民党33,954票、国民新党16,734票、新党日本36,665票でした。


 また、2007年の愛知県知事選では、自公が推薦した神田真秋候補が354,786票、民主が推薦した石田よしひろ候補が379,342票を獲得しています。


 2005年の総選挙は小泉旋風が吹いて名古屋市内の自民党候補には、それまでの選挙と比べるとあきらかに地力以上の得票を得ているためあまり参考になりませんので、比例のみ市内の得票をみると、自由民主党375,306票、公明党132,850、民主党356,536、日本共産党90,362、社会民主党44,744、新党日本44,490票を得ています。


 2004年の参院選選挙区では、民主党のさとう泰介候補が245,594票、自民党浅野勝人候補が211,020票、民主党のきまた佳丈が161,329票、日本共産党の八田ひろ子候補が137,896票、自民系の無所属のこいど康雄候補が177,349票を、比例区では民主党366,249票、自由民主党182,890票、公明党139,324票、日本共産党81,086票、社会民主党38,919票を得ています。


 これらの選挙結果を総合すると、2005年の小泉郵政解散総選挙は例外として、候補者や投票率によっても増減はありますが、自公の基礎票は最低でも約30万票〜35万票の間と考えていいと思います。こう仮定すると今回の名古屋市長選挙では、細川候補は、自公の基礎票にも達することのできなかった厳しい結果だったということがいえます。


 上記のデータを厳しくみて民主党基礎票は、底堅いところで約30万強から40万票と考えられます。河村候補は、本来、細川候補に行くはずだった票や投票率が上がった分の多くは無党派層と思われる票をごっそりとって名古屋市長選初の50万票を達成したといえます。仮に細川候補が自公の基礎票をきっちり固めたることに成功していたとしても河村候補の勝利は揺るがなかったといっていいと数字です。しかも、民主党は当初、県連のレベルでは河村候補でない候補を擁立しようとし、結局、小沢代表の裁定によって河村氏の出馬が決まったことや選挙期間中に1人とはいえ造反する市議を出すなど、必ずしも一枚岩とはいえませんでした。にもかかわらず民主党名古屋市内で得票したことのない得票数をたたき出していますから、これは河村氏の個人的な人気によるところが多い得票なのだと思います。細川氏でなく、他の誰が対立候補であっても河村氏に勝利することは、きわめて困難だったといわざるをえません。


 そこで、はじめの結論に戻るのですが、今回の市長選は、自公の側からみると勝利するためには「闘わずして勝つ」しか道はなかったのです。つまり河村氏を出馬させた時点で負けは決まっていたということ、仮に私が自公側の選挙参謀ならどんな手を使ってでも河村氏を出馬させない(断念においこむのではありません)、できない環境を作ることに全力を尽くしたと思います。


 出馬させないためのポイントは考える限りいくつかあり、以下に列挙しますが、いずれも実現するためには、かなり早い時期から手を打つ必要がありました。謀はタイミングが難しいのですが、理想をいえば2007年夏の参院選が終わった辺りから工作を始める必要があったと考えています。実際には、この時期、政務調査費問題で自民党は会派が分裂し内紛に力が入っていたのでそれどころではなかったのでしょうが、公明が仲立ちするとかそういう手はうてなかったんですかね。この点に関しては、情報がないので経緯はあまりわかりませんが。

 
 さて、くりかえしますが、最善の策は、河村氏を出馬させないこと。そのためには、できるだけ早い時期に相乗りできる候補を水面下で作ってしまう。例えば、理想的な候補者としては、民主党古川元久衆議院議員大塚耕平参議院議員など一定以上の知名度があって、保守層や公明党支持層が乗りやすい候補を民主側からイニシアチブをとって擁立し(そのように自公側から促し)、それに結果的に自公が相乗りするかたちをとる。この場合、自公は自主投票にして実質支援をするという手もあまり良い手とはいえませんが選択肢としてはありえます。保守層が乗りやすいという意味で労組関係者は、もちろん除外すべきです。また、市職員でもいいのですが、これは圧倒的に候補者が知名度不足なのと、民主党の生え抜きの候補ではないので河村氏が出てくる可能性を減らす(無くすことは不可能ですが、限りなくゼロに近づけることは可能だと思います)ことができません。

 はじめに書くべきでしたが、これは私の想像も入っていますので間違っていたら申し訳ないのですが、新聞報道等で散見する限り、自公だけでなく民主の側も当初相乗りを望んでいたのだと考えています。そういう仮定で本稿を書いています。


 話を元に戻します。相乗りといいますとすぐに中央省庁の官僚を相乗りで担ぐという手が思いつきます。いまだに他市の首長選挙等(かっては政令市の市長にも多くみられましたが、現在は国会議員からの転身等が相次ぎ、政令市にはほとんど中央省庁出身の市長はいません)ではよく使われる手ですが、名古屋市では、絶対にないとはいいませんが、今後もまずありえません。これは、あまり一般には知られていないことですが、名古屋市は中央省庁からの出向職員を長年、伝統的に受け入れていません。ここが現在でも多くのキャリアを受け入れている愛知県や県内の有力な市とは大きく違う点です。つまりあまり中央とのパイプということを意識していない。よくいえば自主独立の気風がある。わるくいえば、閉鎖的な自治体なのです。戦後の歴代の市長8名のうち3人は、市役所職員から出ており、3期ずつ36年間市政を担ってきました。今回の市長選でも副市長の山田雅雄氏や教育次長の山田哲郎氏が相乗り候補として名前が一部で取りざたされました。


 また、少し話は変わりますが、70年代〜80年代に革新市政を経験した過程で議会の力が大変強くなったということもよくいわれていることです。これは、他の革新自治体(横浜市など)でもみられた現象で、市長与党が少数派であるため議会対策に大変な手間をとられる。そういう状態を繰り返すうちに実例はあげませんが、過剰に議員に市職員が気を使うようになりそれが常態化するということです。一時期市議会の不祥事が表沙汰になったときにはガチンコ市会ということもいわれましたが、河村市政下での議会運営はどのようになるのか興味深い点です。名古屋市政を考えるうえでは、こうした点を抑えておくことが重要だと考えます。


 さて、民主党が推薦する生え抜きの相乗り候補に自公民で乗るのがベストの選択。ベターの選択は、市職員に自公民で乗ること。しかし、このどちらもうまくいかなかった場合、もう一つの相乗り戦略が私の頭には浮かびます。なぜ、この選択肢が浮上しなかったのか未だに不思議なのですが、その戦略とは、松原武久市長の四選相乗りです。


 過去の名古屋市長で四選した人はいない。72歳と高齢であるなどの批判は、当然出ると思いますが、これは自公の側からだけみるとベストとはいいませんが、限りなくベストに近いベターな選択だと考えます。まず、知名度は申し分ない、12年間の市政で失点はほとんどめだってない、色々あるとおっしゃりたい向きはあると思いますが、現職の首長の支持率というのはどこの自治体でもかなり高いのが普通です。よほど争点化している問題がない限り、細かいところまで市民は関心が及びません。三選とも共産党を除くすべての党派の支持を得て当選してきた経緯もあり、市議会とも協調してきた。また、環境政策で実績もあげており、2010年10月に開催される「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)までしっかり務め上げたい、4大プロジェクトもまだやりはじめたばかりで道筋をつけたいなどと主張すれば、大義名分は一応立つのではないかと思います。指定都市市長会議の長に2008年4月からの2年間の任期で再任されており、ご本人も多少やる気があったのではないかと思う節もないではないのですが、今となっては真相は藪の中ですね。


 この戦略の良い点は民主の分断を誘える可能性があることです。民主は党本部のレベルでは多選の首長の推薦を禁じていますが、名古屋市長選の前におこなわれた秋田県知事選挙や千葉県知事選挙の結果をみてわかるように県連レベルでは、かならずしもこの点の意思統一はいつもうまくいっているとはいえません。仮に河村氏が手を上げたとしても、おそらくこれまで推薦してきた現職の市長が手を上げる以上、簡単には意思統一ができない。少なくとも民主の市議団の動きは、離反するとまではいかないまでも微妙な動きが出る可能性をつくれます。


 過去の松原氏の市長選の得票を見ると必ず30万票以上は得票していますし、これまでそれだけの名古屋市民に名前を書いてもらってきた実績はあなどれないと思います。まったく違うレベルの選挙なので安易に参考にすることは慎まなければいけませんが、愛知県知事選での神田(自公)、石田(民主)両候補の名古屋市内の得票差は、わずか2万数千票程度、自公が党本部も含め本気になれば十分民主と互角に戦うことは可能とも考えれます。


 また、松原氏をフレッシュに見せる戦略として例えばマニフェストに都市州構想をクローズアップして、中田横浜市長や平松大阪市長と連携し、うまく応援に呼び込むという手もつかえると思います。名古屋市の近隣市町(ベットタウン)の中には名古屋市との合併を望む声もあるやに聞きますし、こうした市町も巻き込みながら新たな都市としての名古屋の魅力を発信することはできるのではないでしょうか。


 これもあまり知られていないことかもしれませんが、松原氏は教師出身ということもあってなかなかお話はうまい方です。これまでは相乗りの構図の中で公開討論会には出席していませんでしたが、対河村という場合には積極的に出席し議論をおこなっても、負けないだけの地力はあると思います。もちろん応じずにこれまでどおりの選挙で横綱相撲という手も情勢によってはありだと思います。


 松原四選戦略の要諦は、民主を分断することにあり、ひいては河村氏が日和見をしている感を市民に抱かせることにあります。河村氏は、今回の選挙でもぎりぎりまで党の推薦にこだわる姿勢を崩しませんでした。政治的な駆け引きでそうした方がよい局面だったことは事実ですが、アウトサイダーとしのて道を歩んできただけに公認であるとか推薦といった組織のバックアップを形式的にでも得ることにこだわっているようにも私には見えました。であるとするならば、自公(民)の松原与党の側が、ゆさぶりをかける価値は十分あります。


 選挙の結果は、それでも河村氏が出馬してきた場合(可能性はこの局面に追い込んでもまだ強いでしょう)敗北に終わるかもしれません。しかし、今回のような惨敗にはならず、一定、自公(議会)は影響を保てたのではないでしょうか。また、この後に控える衆院選のことも考えるともう一頑張りしておいたほうがよかったのではと思わずにはおれません。


 とまあ、色々考えましたが、今となっては後の祭りということですね。後知恵ならなんとでもいえます。しかし、しつこいようですが、この戦略、可能性はあったと思うんですけど・・・・やっぱり無理だったんですかね。


参考)名古屋市長選過去の選挙結果
名古屋市長選挙(2009年04月12日告示、2009年04月26日投票)
有権者数:1752221人、投票者数:885632人、投票率:50.54% 

得票 氏名 党派 年齢 備考
514514 河村たかし 無所属(民主推薦) 60 無職
282990 細川昌彦 54 無所属(自民県連、公明県本部支持) 無職
73640 太田義郎 65 無所属(共産推薦) 米穀商
7335 黒田 克明 36 無所属 登録制アルバイト

名古屋市長選挙(2005年04月10日告示、2005年04月24日投票)
有権者数:1710638人、投票者数:470370人、投票率:27.5%

得票 氏名 党派 年齢 備考
320149 松原武久 68 無所属 名古屋市
139576 榑松佐一 49 無所属 名古屋勤労市民生活協同組合職員

名古屋市長選挙(2001年04月08日告示、2001年04月22日投票)
有権者数:1671027人、投票者数:524905人、投票率:31.41%

得票 氏名 党派 年齢 備考
342133 松原武久 64 無所属 名古屋市
107503 三木本国喜 67 無所属 作家
107503 牧野剛 55 無所属 予備校講師