堂々たる政治 (新潮新書 257)

 与謝野氏が総理大臣になる目は消えたのか。麻生政権の支持率が回復し小沢一郎が退場する中で総選挙前に与謝野氏が総理大臣になる可能性は、低くなったと見ていいと私は考えている。総選挙後に大連立論が再燃するような状況になった場合は、もう一度チャンスがあるかもしれないが。それも現状ではそう高い確率ではないだろう。


 さて、近年、総理大臣を目指す政治家は新書を上梓しなければならないと決まっているらしい(?)例えば、安倍晋三(2006)『美しい国へ』文藝春秋(文春新書)、麻生太郎(2007)『とてつもない日本』新潮社(新潮新書)、小池百合子(2007)『女子の本懐―市ヶ谷の55日』文藝春秋(文春新書) 。一定のメッセージを国民に向かって発信し支持をえることが、かってより重視されつつある現われだと思う。


 いや、しかし、総理大事経験者の小泉純一郎福田康夫、総理を狙う位置にいたことのある小沢一郎前原誠司岡田克也中川昭一石破茂石原伸晃らは、単行本しか出していないのでこの考えはあらためて考えてみると間違っているのかもしれない。とはいえ、一昔前よりは、やはり広く国民にアピールすることが求められていることは事実といっていいのではないか。故に政治家も数多くの本を上梓し自分の考えや人格を知ってもらう努力をおこなっているのではないか。


 しかし、与謝野氏は、そうした大衆に迎合する行為(古い表現だが、この人にはこういう形容が似合う。だから3度も落選したとはいはないが)を嫌っているイメージを持っていたので本書が出版されたときは、軽い驚きを覚えたことを記憶している。


 内容は、自分は国民に負担を求めることも恐れない政治家だということや安易な小さな政府論には違和感を覚えるといったことを中心に書いてあり、どちらかといえば本書が出版された当時には流行らない言葉でうまっている。もっとも冷静になって考えてみれば、自民党の保守政治家の中には、こうした言辞を述べる人が一昔は大勢いて、そう珍しい存在ではなかったのだが。いつの間にか見かけることが少なくなった公衆電話に似て、気がついたら世間から消えかけているそんな存在といったら言い過ぎだろうか。


 与謝野馨という政治家は流行らないが玄人受けする歌を歌う歌手であると私は思う。それゆえに一部の人の間では記憶に長く残り称えられるだろう。しかし、おそらく総理になることはない。本書を読んであらためてそう考えるようになった。

堂々たる政治 (新潮新書)

堂々たる政治 (新潮新書)


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