永田町の上流家族―政界と財界を結ぶ“血の絆”とは

 世襲議員について調べていく過程の中でたまたま購入した一冊。筆者は、「新聞記者で死にたい―障害は「個性」だ 」(中公新書)で有名な毎日新聞牧太郎氏。今の筆者はこうした政界本は書かなくなってしまったが、本書は、派閥記者全盛自体の往時の筆者の活躍ぶりを髣髴とさせる内容だった。当時の筆者はおそらく縦横無尽に政界をかけまわり情報を集めていたのだと思う。腕の立つ新聞社の政治部記者は政界(政局)記者、あるいは派閥記者として肩で風を切って永田町を歩いていた時代。そういった力を駆使した成果は本書に惜しみなく詰め込まれている。


 近年、政治家の懐に入り込んで取材をおこなうことは、記者クラブ制度への批判とあいまって強くなっている。また、政治家の側も一昔前のような濃い付き合いを記者とはしなくなっていると思う。しかし、80年代頃までに出版された政治に関する一般書の筆者は、新聞記者に限らず政治家とある意味一体となって書いていたのだなと感じるものが多い。


 さて、本書は永田町の上流家族、政界と財界、官界など力のある世界を血脈でつないで勢力を拡大し続ける血の絆について書いたものである。特定の血脈、閥族が社会を支配しているというような本は、ともすると安っぽい陰謀論本になってしまうので気をつけないといけないが、本書はデータもしっかりと調べてあり、また、血脈が政治にかかわるすべてを決定しているわけではないときちんと述べているのでタイトルの俗っぽさに反してバランスのとれた内容になっていると感じた。閨閥のネットワークが社会に一定以上の影響を及ぼしていることは事実で、もちろんそれだけで物事が決まっているわけではないが、私が考えていた以上にそうしたものが力をもっているのではないのかと読了後考えさせられた。


 世襲については、冒頭、安倍晋太郎の長男寛信の結婚式の様子が取り上げられているが、その席で永田町の誰もが世襲するのは安倍の2人の息子(後の総理大臣安倍晋三は次男。当時安倍外相秘書官)どちらかだと当然のように考えていたこと「血」による継承に否定的なものはいなかったということは興味深い記述だ。当時すでに政治家世襲は、少なくとも永田町界隈では当たり前のことと捉えられていたという証拠だ柄だ。


 本書は、さまざまな閨閥のネットワークがすでに政界に張り巡らされていることを具体事例を挙げながら紹介していく。現総理の麻生氏の華麗なる閨閥はもちろん紹介されているし、前総理の福田康夫閨閥、竹下、金丸の親戚関係や珍しいところでは、民社党の委員長を務めた(故)佐々木良作氏が妻を通じて鹿島ファミリーにつながっているなどとい興味深い事例が豊富に掲載されている。


 政治家の世襲、人脈形成についてについて考える上でよいテキストになった。