津市議会議員選挙・人と人の縁がつむがれていく

あらためて人と人の縁は不思議なものだと感じています。故郷、津の市議会議員選挙に4期目の当選を目指して立候補している いわわき圭一君の応援のために久しぶりに大門商店街を訪れてそんなことを考えました。

私は、津の中心市街地ではなく、農村地域の出身です。大門には、高校の後輩である岩脇君とNPO活動を通じて十数年前に再会するまでは、たまに足を運ぶ程度でしたから、詳しくは知らない地域でした。12年前に彼が初めて出馬した選挙を一緒に戦う中で津の中心市街地だけでなく、自分が生まれ育った地元以外の様々な地域の皆さんとの関りが深まりました。

この最初の彼が落選した選挙については、幾度か触れていますのでここであらためて繰り返して投稿することはしませんが、私が今の生き方に至るきっかけをつくった出来事であり、選挙に本気になる理由のひとつとなった戦いでした。

時間の進み方が外界とは違うように思える選挙事務所の中で、ふと彼と再会した時のことを思い出しました。私は彼に出会ったことで居場所と出番を得たと思っています。私がとても辛い状況に置かれていた時に彼は私が社会的な役割を果たせる機会を用意してくれました。そのチャンスが多くの素晴らしい仲間たちとの出会いにつながりました。本当に心から感謝しています。

彼とは様々な場面を一緒に過ごしてきたので、彼自身の至らない点も知っていますし、もう少しこういう風に振舞えばいいのになと感じることも少なくありません。それなのになぜ、彼のことを応援しているのかと問われることがあります。

大きな理由は、先ほど書いた通りですが、もうひとつ理由を付け加えるなら、完成された政治家に興味がないからかもしれません。私は、少し足らないところや変わったところがあっても周囲の人と一緒に共に成長できる政治家に惹かれます。

完成されてないからこそ参加の余地がある、一緒に何かやれそうな気がする、期待を持ち共に汗をかいて行動する。こんな私にも出番がある。いわわき圭一君はそんな気持ちにさせてくれる政治家です。

いつもそうなのですが、今回の選挙でも彼を通じて結ばれた人と人との縁がつながり生まれ広がっていく場面に何度も遭遇しました。それは、本人には怒られるかもしれませんが、彼のどこかデコボコした部分、不完全なところが人を惹きつけるからではないかと思っています。時にイライラさせられたりすることもありますが、憎めない。私は、そんな彼の魅力に惹かれた一人なのだと思います。

岩脇君、先輩として、もっと上手に君の魅力や良いところを書いてあげたかったけど十分に表現しきれなかったと思う。ごめんね。いつも本当にありがとう。

選挙戦も後少し、私にできることはもうあまりないけれども最後まで君や仲間と一緒に持てる力をすべて出し尽くして戦い抜くことをあらためて誓います。岩脇君、必ず勝利を掴もう。

私とご縁を結んでいただいている皆さん、津市の有権者の方は、ぜひ、いわわき圭一君に一票を投票してください。有権者でない方は、何卒ご支援の輪を広げていただきますよう心からお願いいたします。

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気づかなかったこと

先日、津市議会議員の岩脇圭一君の後援会事務所開きに参加してきました。津市は私自身の故郷であり、岩脇君は、高校の後輩にあたります。彼が政治家になる前からお付き合いがあり、10年以上に渡って、様々な形で一緒に活動してきた仲間です。

そうした仲ですので、彼のことはそれなりに分かった気になっていたのですが、事務所開きで地域の皆さんのお話しをうかがううちに私が知っていたことは、彼の一面でしかなかったことに気づかされました。

岩脇君は地域の皆さんに信頼されているし、不器用ではありますが彼なりのやり方で人のために汗をかいてきている。自分の活動やその成果を上手く発信したり、説明することはあまりできていないことは確かなのですが、そうした欠点も含めて受け入れてくれている人たちが少ながらずいるということを知った時間でした。

日頃一緒にいるわけではありませんが、それでも多くの時間を共にしながら、こうしたことに気づけていなかったことの不明を恥じています。しかし、同時に純粋にうれしい気持ちも感じています。

10年以上前に彼が、政治家を志した頃に2人で会って話したことを昨日のことのように思い出します。あの頃とは、多くのことが変わり、私自身が彼のためにできることは決して多くはないのですが、できうる限りのことをしようと思った一日でした。

 

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選挙の思い出・今、私が考えていること

私は国政選挙にはあまり関わってこなかったのですが、ご縁があり、2014年と2017年の総選挙には候補者の陣営に入って選挙運動に参加しました。一方で2021年の今回は、特定の候補者の陣営に入っていません。また、2013年の参院選から続けていた選挙の現場を訪ねることもできていません。選挙に関しては異常なこだわりを持ち、時にはおかしいのではと言われることもある私としては、選挙中にとても静かな日常を過ごしており不思議な気持ちになっています。
そうこうしているうちに選挙戦も後、一日となり、ここまで頭の中で考えていたことを言語化したくなり、メモを書くようにTwitterに投稿した内容をベースに文章をまとめました。
実は、友人から、今回の総選挙のタイミングで選挙について話をしてほしいというお誘いを受けていました。残念ながら、私も彼も仕事が忙しくなってしまい今回は企画を断念することになったのですが、そこで私がお話ししたいと思っていたのは以下のようなことでした。
・これまで経験してきた選挙で感じた日本の選挙制度(選挙運動)の課題
・その課題を踏まえた上でどのような制度改正をおこなうとよいかの提案
私は選挙について講義をすることができるような能力のある人間ではありませんので、何かを教えるようなことはできませんが、上記の話題提供をしたうえで、皆さんと意見交換をできればと考えていました。
私が現場で学んできた日本の選挙の実態、規制を前提とした制度のあり方について文句を言いたいことはいくらでもあります。おかしいと声を上げることは、もちろん大事なことですが、それと同時にどういう形に選挙のあり方を変えていったらいいのか、具体的な制度改正のアイデアを考えてみたいと思いました。
例えば、数十年前まで国政選挙を中心に立会演説会という仕組みがありました。私が生まれた頃には廃止されていたので実際に見たことはないのですが、仕組みを改良して再度導入することはできないだろうかと思います。選挙期間中、毎日、数回程度の立会演説会に出席し候補者が政策について語ることができるようにする。そうすることで、選挙カーでの街頭活動や電話作戦を中心とした選挙の風景が変わると思います。
今は、直接、候補者の考えを聞きたくても街頭演説の現場を探して、運良くタイミングが合わないと機会を得ることができないのは不合理だと思います。個人演説会も開催は任意ですし、また、告知がなされるのが制度上、選挙期間中になりますから、予定を合わせて参加することは難しいと考え参加を断念する人もあるでしょう。立会演説会を復活させ、会場開催と合わせて動画配信もおこなえば相当な数の有権者が、候補者の生の声に自分の都合の良い時間に触れることができると思います。
立会演説会が廃止された理由として出席者が減ったことがあったと記憶していますが、ICTを活用すればその問題は解消されると思います。録画した動画をYouTubeなどのSNSで配信することはもちろんですが、役所や公共施設のロビーなどで流すこともできると考えます。過去に実施していた際に見えてきた課題を整理し、現代の有権者のニーズを踏まえて制度改正を検討できないでしょうか。
この提案に関連して、Twitterで教えていただいて思い出したのですが、総選挙と同じ日程で実施されている新城市長選では、市が公開政策討論会を制度化し数回にわたって市長候補の政策や考え方を聞く機会を選挙前に設けました(動画配信も実施)。私の理解では、現行の制度では、こうした取り組みを選挙期間中には開くことができないのは残念ですが(一般に選挙に対する関心が最も高まるのは選挙期間中のため)、こうした取り組みを国政選挙でも制度化できないかと思います。
もう一例をあげると、選挙期間中のチラシの作成・配布について厳しい規制を設けることに意味はあるのだろうかと思います。詳しい説明は省きますが、現在の制度では証紙ビラというビラを配布することができるのですが、これは実質、ほぼ新聞折り込みでしか配布できない不思議なビラです。
私は新聞を取っていませんのでいわゆる証紙ビラは一枚も手元に届きません。街頭演説の場や事務所に行けばもらえることは知っていますが、残念ながらそこまで出向く時間がありません。配布方法や作成枚数の制限を無くし、例えば、ポスティングを認めればよいと思います。
ちなみに初めて選挙運動に関わる方に候補者に関するチラシを自由に作って配ることができないという事実を伝えると、ほとんどの方は、それはおかしいと口を揃えて言われますので、この制度の改正に反対する人は少ないのではないでしょうか。
合わせて、証紙という謎のシールをビラに貼る廃止してしまえばよいと思います。国政選挙では証紙ビラを10万枚以上配布することができますが、このビラを配るためには証紙をビラに貼り付ける必要があります。そのため、一般に、選挙戦の最初の数日間は、どの陣営でも証紙ビラに証紙を貼る作業に追われていると思います。
選挙の公示・告示日に公営掲示板に選挙ポスターを貼りに行くことについて、掲示板を立てる前に貼り付けてしまえばいいのにと作業をお願いした方から言われたことが、私は、おそらく10回以上ありますが、証紙ビラについても似たようなご意見をうかがう機会が多いです。
このように少し考えるだけで選挙には疑問に感じることが多くでてきます。選挙の現場に入れば、現行の制度を前提として戦術を組み立て選挙に勝つために死力を尽くしますが、今回、現場にいないことで見えてきたものや整理できたことがあるような気がしています。

政治家と一般の市民の距離感・コミュニケーション

仕事の書類ばかり作っているとまったく仕事に関係のないことを書きたくなります。先日、Twitterでたまたま目にした東京都立大学准教授の佐藤信さんの文章を読みながら、政治家と一般の市民の距離感・コミュニケーションや政策が形成される空間、投票行動に影響を与えている要素といったことについて考えていました。
コロナは政治家のコミュニケーションのスタイルを変えたようでいて、実はあまり変わっていないとも感じています。人間は直接接触した人に親近感をいだくものだと聞いたことがあります。選挙に関わって来て感じるのは、選挙における戦術の多くが、有権者と政治家をいかに接触させ印象付けるかに力点をおいたものだということです。
実際に会って話ができる人の数はどうしても限られてきますから、街頭に立つ、ポスターを貼る。ビラを配るなどの行動をとるわけですが、これもある意味、有権者接触するということだと思います。
選挙巧者と言われる政治家ほどこの自分を印象付ける接触の重要性を理解して普段から行動していると思います。佐藤さんが触れている握手が典型ですが、そうした多くの人が気恥ずかしく感じる行動を普段から取れる方ほど選挙に強いと思います。
私が若い頃に出会った政治家の中には、選挙とまったくかかわりのない時期に会っても必ず握手をしてから分かれる人がいたことを思い出します。その時はなぜこんなことをするのかなと思っていましたが、年を重ねてから、あの政治家の握手は力強く真心がこもっていて素晴らしかったと語る人に出会って、なるほど効果があるのだなと認識をあらためました。
まったく科学的でも論理的でもない話と感じる方も多いと思いますが、こうしたことを日常的に積み重ねることに苦痛を覚えない人が生き残る世界なのだと思います。
人間関係にある種の割りきりをもてない人は、政治家には向かないとも思います。自分の思った通りに相手が反応しないからいちいち傷ついていたのでは務まらない仕事と言うと言いすぎかもしれませんが、選挙においては特にこうした性格が求められると思います。
また、一つひとつ行動の効果を論理的に検証したくなる人やあまり個々人との関係性に誠実に拘り過ぎる人は少なくとも選挙というフィールドには向いていないでしょう。
選挙に際しては馬鹿にならないといけない。自分は、選挙マシーンになる。選挙に関わる人に期待される行動をとる。すべて私が実際に耳にした政治家の発言です。皆さんはどんな印象を持たれるでしょうか。私も彼らと同じように考えている所があり、彼らのことを責める気にはなれません。政治や選挙に質を求める人にはおそらく批判されるでしょうが。
一方でこうした世界になじむことができずに去っていった政治家たちの姿も脳裏をよぎります。一抹の寂しさを覚えながらも、それぞれの選択であってどちらが正しいということではないと思います。
いずれにしてもこうした言葉が、今も現場では飛び交っているのだろうなと想像しながら、次の仕事の準備に入ることにします。佐藤さんの文章をあまり関係のない内容になってしまいましたが、とても面白い内容ですので政治や選挙に関心のある方は、ぜひ、目を通されることをおすすめします。

田村元とその時代

盛山正仁『田村元とその時代』を就寝前の時間に少しずつ読み進めています。千ページを超える大部の書のため読み終わるのはいつになるか。
ずいぶん昔に一度Facebookに書いたことがあるのですが、私は、大学の一回生の時に、引退してすぐの田村さんの講演を授業で聞いたことがあります。結局、その後一度もお姿を見ることはなかったのですが、強烈な印象が残っていていつかその業績をきちんと確かめたいと思っていました。
本書には、10年以上前から読みたいと思っていた伊藤隆氏の近代日本資料研究会による田村元オーラルヒストリーが資料として全編掲載されており、こちらにも目を通せるのが楽しみです。
最近、川崎秀二藤波孝生といった郷里の政治家たちに関連する文献を買い求めて読み始めています。現在進行形の政治や政局への興味はどんどん薄れていますが、過去については、ふとした瞬間に関心が強まることがあり、時折、歴史を確認することが気晴らしになっています。

選挙の現場の変化

選挙の現場でも感じていた意識の変化ですが、こうした記事を読むとあらためてやはりそうなんだなと考えさせられます。私が選挙にはじめて関わった20年以上前でも、時折、問題視する人はありましたが、今のような状況ではなかったと記憶しています。
社会の変化を踏まえて選挙の戦術も変えていかねばいけないのでしょうが、雁字搦めの公選法の中でこれ以上どういう打ち手があるのか。
たまたま、先日、友人の政治家とコロナの状況下でどう選挙をすすめていったらよいか議論したところだったのですが、選挙どころではないという世相の中で暗中模索を続ける日々です。