愛知県「これからの社会貢献活動支援検討会議」第2回会議配布資料を読んで

 愛知県「これからの社会貢献活動支援検討会議」の第2回会議の配布資料に目を通していて、認識が異なると感じた点があったので、以下、私の考えを記します。

 配布資料「助成等に関するヒアリング結果について」ですが、あくまでヒアリング(対象は、当日、傍聴された方のお話では20団体。うち10団体程度がNPO)の結果ですから、こうしたご意見があったということについては、否定するものではありませんが、同じ社会にあって同じNPOセクターを見ていても見え方、捉え方は違うのだと驚きました。

 例えば、福祉系NPOは活動資金に困っているという話は聞いたことがことがないとの証言が紹介されていますが、私は逆の話しか聞いたことありません。他分野のNPOと比べれば、資金源は豊富であると思いますが、介護保険制度の改定等があり、経営にご苦労があるというお話をうかがうことが多いです。

 また、市町村の助成制度や協働事業への申請が減少しているとのことですが、これは事実ですが、その理由は、事業を行おうとする団体が求める制度がなかなかないということがあると思います。一般社団等を含めた広義のNPOの数は増えており、事業をおこなう団体は減ってはいないのではないでしょうか。

 資金調達のアドバイスをしてくれる機関がないという意見については、どの程度のレベルを期待してのことかわかりませんが、中間支援団体や市民活動支援センターは増え、相談に対応できる機関はかってより多様化しています。また、こうした相談に対応することができる専門家(プロボノ、ファンドレイザーなど)も生まれてきています。金融機関もNPOの資金調達の相談に応じてくださるようになりました。こうした社会の変化について、必要な層に情報が届いていないという課題があるのかもしれません。

 企業が、NPOへの資金提供に対して積極的でないといことは私も感じていました。厳しい言葉が並んでいますが、企業が置かれている厳しい環境を思えば、無理もないと考えます。フィランソロピー元年の頃からすると社会には余裕がなくなりました。

 そうした状況の中でも企業がNPOへの人的支援に力を入れていただけるのは、とてもありがたいですね。企業には、社員とNPOをボランティア等を通じて関係させることによって人材を育成したいという意向があると感じています。

 そのこと自体は大変よいことだと思いますが、企業側に派遣コストが発生するようにNPO側にも受入コストが必要です。このコストをどう担保するのかという点に課題があると思います。社員の専門性を提供するのだから、当然、受入は無償という考え方もあると思いますが、企業に専門性があるようにNPOにも専門性があります。両者は等価価値を持っていると考えます。

 NPOは、いつまでも未成熟で頼りないものという固定観念が社会にはあると感じます。しかし、例えば、すべての企業が10年、20年事業を継続できるでしょうか。NPOには、経営資源が乏しい中でもさまざまな主体と協働しながら、工夫を重ねて活動を長く継続している団体がたくさんあります。こうした点について敬意を払い、互いのあり方を尊重することが必要ではないでしょうか。

 また、企業自らがNPOを探しに行けるようになったとの指摘ですが、事実そうだと思いますが、企業とNPOのマッチングにあたって中間支援団体を中心としたNPOがコーディネーターを務める意義は、まだあると思います。NPOの活動、あり方は多様化が進んでおり、インターネットで検索するだけでは手に入らない情報が価値を持つ時代が来ていると考えます。こうした点について、企業が専門性を持つNPOを活用する意味はあると思います。

 将来のNPOの担い手となる世代が育っていないと取れるコメントがいくつかありました。この点については、僭越ですが、先入観があるのではないかと感じています。先輩からすると頼りないのかもしれませんが、現実には、すでに経営層の代替わりが進み、事務局の中核をNPOでキャリアを積んだ人材が担っている事例は数多くあります。

 私が代表を務める東大手の会では、NPOを通じたキャリア形成のノウハウを分析し、提示するために事例の紹介・発掘に継続して取り組んでいます。

NPO労働環境改善のための調査とセミナー開催事業/東大手の会

NPOキャリアキャンパス/東大手の会

 また、東大手の会は、主に東海地方のNPONGOの中堅・若手役職員の約50名のネットワークとして将来を担う世代に対して研修をおこなってきました。

 私自身は至らぬところばかりで社会人としての能力があるとは考えたことがありませんが、東大手の会の活動を通じて接するNPONGOの将来を担う世代の職業能力の高さには驚かされます。

 特にプロジェクトを企画し、実行する力や活動をわかりやすくプレゼンする力、対人能力・コミュニケーション能力の高さには驚かされます。オピニオンを発信する力が、やや弱いことが、社会的評価につながっていない原因だとすれば、その点には課題があるかもしれません(優しい人たちが多く主張するということに少し躊躇する傾向があると感じます)。

 社会貢献の必要性に関するセミナーやソーシャルビジネスの担い手支援、中間支援団体職員のスキルアップ研修が足りないとの指摘がありました。

 おっさんのボヤキのようになってしまい自分でも嫌だなと思うのですが、NPOに10年以上関わってきた世代としては、昔に比べれば毎日のようにさまざまな企画が催されており、随分と機会は増えたと感じています。

 しかし、足りないという声があるということはニーズがあるわけですから、東大手の会としてもさらなる取り組みが必要と認識し、機会づくりの努力が足らなかったと反省しました。

 長くなってしまいました。あくまで私として資料を読んで感じたことを書きました。ヒアリングの対象となった皆さんのご意見を批判する意図はないことをご理解ください。

 青木それは違うよというご指摘があれば、遠慮なくコメント、メッセージをいただければと思います。また、直接お会いした際にお話しできれば幸いです。

服部則仁さんの思い出

 服部則仁さんが、編集に関われた『NPO!? なんのため だれのため「NPOとまちづくり」現場からの本音トーク』を助成金の申請書を書いている最中にふと手に取ったのは、服部さんがお亡くなりになる数日前でした。

 本当は、お別れにうかがいたかったのですが、申請書の〆切と葬儀が重なってしまい、大変失礼ながら欠席し不義理をしてしまいました。

 服部さんとはじめてお会いしたのは、2000年頃だったと記憶しています。当時、私が勤めていたNPOを時々訪ねていらして、いろんなお話をされていく、話し好きの会社経営者でJCのOBさんで、どうも偉い方らしいという印象をもっていました。

 私は、新人スタッフとして来客者の対応をすることが多かったので、服部さんとさまざまなお話をする機会に恵まれました。今思うと当時の私は正確に理解できていたとはいえませんでしたが、無知な若者にNPOについて教えていただいていたのだと思います。ありがたいことでした。

 まだ、NPO法が施行されてから日が浅く、愛知のNPO法人は100以下だった時代でしたから、NPOセクターをさらに発展させるために強い思いと期待を持って行動する先輩が大勢活躍されていました。日本青年会議所NPO推進政策委員会委員長を務められた服部さんもそのお一人だったと思います。

 実は、服部さんのお名前を聞くたびに申し訳ないという思いが常にありました。

 私が、職場を変えてからも服部さんとはさまざまな場面で交流する機会があり、ご縁が少しづつ深まっていました。

 前述の書籍の製作に服部さんは関わられたのですが、出版がされるとすぐに現物を届けてくださいました。写真の書籍はその時にいただいたものです。その際に読書会を企画しないかとご提案をいただいたのですが、私は、あまり深く考えずにその場で断ってしまいました。

 当時の私は、NPOに対して情熱を失いつつあり、仕事に対しても前向きさがなくなっていた時期でした。これ以上、やることを増やしたくないという気持ちから、真面目に検討することなく貴重な機会を潰してしまいました。大変、失礼なことをしてしまいました。

 今は、NPO、市民活動の歴史をつくってきた世代と将来を担う世代の中間の世代として、僭越ですが両者をつないでいく役割の一端を担いたいと考えるようになりました。虫のいい話ですが、時間を巻き戻せればいいのにとつい考えてしまいます。

 服部さんは、その後も私との付き合いを続けてくださいました。私が職を失ったとき、仕事を紹介してくださったこともありました。この時は、NPOに関わることはもう何もやりたくないと思い、無礼にもきちんとお返事をすることなくご提案を無視してしまいました。

 時期は読書会の件よりも前で、実現しませんでしたが、光栄にもまちづくり市民財団が発行されていた『まちづくりと市民参加』に原稿を書かないと誘っていただいたこともありました。

 さらに後年、私が、服部さんと一緒に取り組んでいた仕事を途中で投げ出し時は、さすがにこれで服部さんとのご縁も終わったと思っていました。その後、恥ずかしながらさまざまな人のご好意を得て、ありがたいことにNPOの世界で仕事を続けさせていただくことができましたが、服部さんには、顔向けができないと常に考えていました。

 少し前にたまたまある行事で服部さんと偶然お会いする機会がありました。長年の無礼、不義理をお詫びすると、気にしていないからねと言っていただけたことが、本当にありがたかったです。

 きっと罵倒されると思っていたのですが、そんなことをされるわけはなく、服部さんのお人柄を理解できていなかったと恥ずかしく思ったことを憶えています。

 いつか地道に一つひとつの活動を積み重ねる中で、服部さんから受けた恩に対して何かお返ししたい、そう考えていた矢先に訃報に接し衝撃を受けました。

 このような文章を書き公開することがよいことなのかどうか悩み、迷いましたが、私なりに服部さんに対して追悼の気持ちを表したくまとめさせていただきました。

 服部則仁様の在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

NPO!?なんのためだれのため―「NPOとまちづくり」現場からの本音トーク

NPO!?なんのためだれのため―「NPOとまちづくり」現場からの本音トーク

後援会活動・地域周りの思い出

 思い出話になります。以前、ある政治家の後援会活動に関わっていた頃のことです。後援会への入会のお願いに地域を一軒一軒、回らせていただく経験をしました。

 支持者や団体回りと違い、特定のお宅を訪問するわけではなく、地図とリーフレットを持って、まったく知らない方の家にお邪魔します。

 ご経験のある方には、共感いただけるのでないかと思いますが、当たり前ですが訪問先で歓迎されることはあまりなく、ご迷惑をおかけする行為です。しかし、1日に100軒、200軒とお邪魔していると、それぞれの地域の風土や住まわれている方々の個性など、いろんなことがわかります。このようなことを書くとお叱りを受けるかもしれませんが、刺激をうける事ができるので、嫌いな活動ではありませんでした。

 私は、たいした腕ではありませんが、若い頃から一通りの事務ができたのと、体を動かすことは、あいつは苦手だと思われていたようで(これは誤解なのですが)、事務所の奥ででひたすら事務をする役割を担う事がおおかったです。

 しかし、この役割は正直あまり楽しくなかった。事務がいやということではなく、一日、事務所にいるといろいろと人間関係に起因する嫌なものを見てしまうからです。今回書きたいことの本筋には関係ないので詳細は述べませんが、人間の美しさも醜さもすべてがあそこにはあったと思います。ですから、外に出るチャンスとなる活動には自然力が入りました。

 最近は、年をとって感性が擦れたのでしょう、同じような場にいてもほとんど何も気にならなくなりました。むしろ、密かに面白いと感じている自分がいることに驚くことがあります。不謹慎かもしれませんが。

 さて、本題です。あるお宅を訪問した時のことです。玄関先で初老の男性が対応してくださいました。そう数は多くないのですが、いろんなお宅にお邪魔すると、まれに政治に関心の強い方に出会うことがあります。この方もそういう方でした。

 ひとしきり、お話しした後に、私が推す候補者の対立候補について、評価を求められました。たまたま私は、その方にもお会いしたことがあり、悪い印象を持っていませんでした。派手さはないが実直な人柄の方と感じていたので、そうした印象を持っていることをお伝えしたうえで、実績のある方だと思いますといったことを話したと記憶しています。そのうえで、候
補者について応援する理由をあらためて述べました。

 後日、その方が事務所を訪ねてみえました。候補者がいたため、ご紹介したところ、私のことを大変ほめてくださいました。実は、その方は対立候補に縁が深い方だったのですが、そのことを私には伝えず会話をしていたのです。敵であっても汚い悪口をいわず、良いと思う所は良いといえるのは素晴らしいとのことでした。

 昨日、「敬意」について書きましたが、私が敬意を払うことが大事と考えるようになった理由には、こうした経験があったからではないかと、ふと、思い出したため書きとめました。

他者への敬意を払うということ

 自戒を込めて書きます。自分とは考え方が違う人が、試みていることであって、内容が意に沿わないことであっても何か新しいことをおこなうには、それなりの苦労があり、また、支える人が周囲にはいるものです。批判や議論をしてはいけないという意味ではありません。しかし、常に敬意を払うことを忘れてはいけないと思います。

 政治、行政、NPOなどのフィールドでさまざまな人と出会ってきました。長く生き残り活躍する人は、総じて他者に敬意を払うことを忘れていなかったと思います。そしてそのような行動をとることが、自身への敬意につながっていました。

 偉そうなことを書きましたが、私自身、悪口は言いますし、ゴシップ好きなおじさんです。酔うとほとんどそういう話しかしていないような気もします。上述したようなふるまいをするのは、難しい。そうありたいけれども。こんなことを考えた昼下がりでした。

落選経験から学ぶ

 近所で開催されていれば、必ず参加したかった企画です。JIフォーラムに気軽に参加できるようになるが、10年以上前からの密かな目標の1つなのですが、なかなか実現できません。

 落選した候補者・議員に話を聞くことは、そうはないと思います。ビジネスや市民活動の世界では、失敗から学ぶという事はよく言われますが、現実に学ぶ機会を得ることは難しいと感じます。

 また、選挙は、その都度人を集めて実行するプロジェクトのため、落選すると候補者も含め関係者は離散してしまい、落選(失敗)の原因が検証されることはまずありません(当選後に選挙運動の課題に関する検証もあまりなされることはないですが)。

 実際に選挙を戦われて、落選された候補者の方の肉声を聞けるチャンスは、メディアが発達した現代でもまれだと思います。肉声を聞くことが難しければ、文献にあたるという方法がありますが、このテーマでは、それほどの数は出版されていません。

 落選経験を描いた書籍としてすぐに思い出せるのは、大前研一氏の都知事選「敗戦記」や石原慎太郎氏の最初の都知事選立候補を描いた沢木耕太郎氏の「シジフォスの四十日」ですが、考えてみるといずれに首長選に関するものですね。確か、国会議員の落選記もいくつかあったと思いますが、すぐに書名を思い出せません。

 今回のJIフォーラムについての二つの記事を拝見して、気になったのは、山田太郎氏のインターネットでどぶ板をやるという戦略と熊谷大氏の用がないのに人の家にいけなかったというエピソード。

 前者は、以前から強い関心があり、最近、山田氏を取り上げたインタビュー記事をざっと読んだのですが、インターネット選挙運動に地上戦の選挙運動のやり方を取り入れたとの印象を持ちました。一度、きちんと学んでおきたいです。

 後者は、少しびっくりしていまいました。失礼ながら自民党にこんなシャイなタイプの議員さんがいたんだなあと。私が若い頃に体験した政治の現場では、ともかく、足で一軒でも多くの家を回ることが、政治家にもスタッフにも求められ、歩き続けることが普通でした。今も私の活動に関する基本は、そこにあります。カルチャーギャップを感じました。国会議員なら、どこにだって入っていけますし、追い返されることはそうはないのですが。

 といったようにいくらでも話したくなる題材です。どこかに記録をあげていただけないかなと思いますが、あつかましいですね。

 私が、選挙について本気で考えるようになったのは、友人を落選させたからだということは、以前にも書いた通りです。つい、この話題になると熱くなってしまいます。

大前研一 敗戦記

大前研一 敗戦記

馬車は走る (文春文庫)

馬車は走る (文春文庫)

参院選の投開票日を控えて

 ふと、気がつけば、参院選の選挙運動期間が終わろうとしています。

 ここ数年は、自分が関わった選挙については、候補者への支持の呼びかけや私が候補者を支援する理由についてFacebook等に投稿してきましたが、今回は、しっかりとした参加ができていないこともあって個別の候補者について触れることはしません。

 これまで、間接的にお世話になった候補者の皆さんについて、何か書こうかとも思ったのですが、候補者個人との直接的な人間関係を通じて行動するタイプのため、それがない場合、どうしても言葉がでてきませんでした。不義理で恐縮です。

 折に触れて書いていますが、私は特定の党派を支持しているわけではありません。支持の基準あるとすれば、個人の多様な価値観が尊重される社会が、望ましいと考えていますので、この点に思いのある候補者を応援してきました。

 私は、この道しかないという言葉には抵抗があります。世の中こんなものだよねという感覚に対して、常に別の道、選択肢があるのではないかとの考えが頭をよぎります。

 政治において多様性が尊重される社会のあり方を模索する道は、挫折、失敗を経て、今や途絶えつつあるのではと感じています。多くの国民は、そうした試みには期待しなくなっているのではないか。政治外のフィールドにいる時には、違った(多様な)あり様を目指す人々の力を感じるのですが、こと政治においては感じない。

 それでいいと考えているわけではなく、何かしたいのだけれども、実質的に自分は何もできていない。いくつか布石は打ったつもりではあるけど、意味あるのものにできるのかどうか。

 参院選の投開票日を控え、今自分が感じていることをまとまらないなりに書き残しておきたくなり投稿します。体調不良で熱っぽい頭を抱えて書いているので、支離滅裂ですが。

選挙運動に関わることの特殊性

 選挙(選挙運動)に関わる人にとっては、周知の事実が、大方の国民にとっては知らないことであるのを忘れてはいけないと思います。

 ここ数日、参院議員の比例代表選挙について、現在の制度が拘束名簿式と誤解している人に立て続けに会いました。皆さん、政治には関心が高い人たちでしたが、政治に関心があるのと選挙(選挙運動)に関心があるということは違うのだと感じました。

 苦い思い出が蘇りました。ある選挙の選対事務局長を務めた時のことです。投開票日に事務所で支援者に選挙運動期間中には電話で支持を呼びかけてよかったんですねと言われて愕然としたことがあります。まさかそんなことを知らないとは、誰からも聞いていないとは思いもよりませんでした。

 選挙結果は、僅かな票差で落選。未だにその時、何票差で落選したか忘れることができません。後悔しても仕切れませんでした。その後は、選挙に関わる際には自らが、最善を尽くすことは当然ですが、できる限り支援者には、丁寧に選挙運動としてやっていいことを説明することにしています。

 政治業界の人が、当然と思うことは当然ではないということです。自分が支持する候補者のために何かやりたいけれども何をやっていいのかわからないという人は、案外多いのではないかと思います。

 選挙が始まると陣営の中核にある人は、殺気立っていますから、なかなか一般の方が声をかけて、話を聞くという事は難しいのではないでしょうか。忙しい中でも心を落ち着けて、応援したいという気持ちで集まって下さる方の気持ちを活かすことを心がけたいです。

 考えてみると自分は、10代のはじめには、政局と選挙に強い関心を持っていましたし、大学は法学部政治学科に進み、社会人になってからも断続的ではありますが、選挙運動の実務に携わってきました。

 友人の選挙の選対に入り、敗北してからは、2度と同じ失敗を繰り返したくないという想いから、選挙運動に関わる機会を意識的に作ってきました。一時期は、選挙運動に関係する一般に入手できる書籍、資料を片っ端から買い集めていました。また、選挙運動のノウハウをわずかでもつかむために選挙のたびに自分にはまったく関係のない候補者の事務所を訪ねて回っていたこともあります。

 おそらく、こういう変人はそう多くはいないと思います。そういう人間の常識を一般に当てはめてはいけない。人は選挙のために生きているのではありません。選挙に関わっているとそんな当たり前のことをつい忘れてしまいます。自戒の思いを込めてこの文章を書きました。